1951年に「思想の科学」研究会が新しい知識の百科事典を作ろうとしたのがきっかけ。当時の最新の学問である生態学の項目をつくるために、鶴見俊輔が梅棹忠夫に相談したのが始まり。梅棹忠夫が所属していた京都大学の研究者を中心に生態学の項目が記述された。それを1967年に再刊するときに改定し、1976年に講談社学術文庫になった。
これを読んだのは30年前。当時のメモを使って全体の構成をまとめる。
第1部は、植物研究に基礎をおいた古典的な生態学。主にクレモンツに代表される。研究の方法は、景観を重視した定点観測型。キーワードは遷移(サクセッション)と群落(コミュニティ)、気候、景観。
第2部は、動物研究に基礎をおいた種社会を研究する生物社会学。今西錦司に代表。研究方法は、現場主義(ついでに個体識別を使った社会研究)。キーワードは、棲み分け。研究の一部は動物行動学や動物心理学に近接する。たぶんマルクス批判のために、家族・言語・経済の起源を探ろうとする。
第3部は、動植物を抽象化した生物経済学。オダムなどの最新(当時)生態学の傾向をまとめたもの。理論重視で、エネルギーや個体数などの計量可能なことを研究する。このときのアプローチ方法には2つあり、ひとつは生物の生産と消費をみるもので、他方は生物と環境の系の収支をさまざまな方法で計量するというもの。
本書が書かれて60年を経ての感想。生態学はその知見を政治的、経済的に権力にいいように使われてきた、それは今でも変わらない。本書の後半では、砂漠、ステップ、サバンナなどのそれまで資本主義が有効に活用できなかった土地を人間が利用することを薦めている。それは当時の経済が要求していたことと合致している。そこには人口増に対する生態学者の自発的な意思も働いていたのだろう。しかし結果として生産発展をもくろむ経済やそれを推進する政策に乗ることになった。のちの公害や環境破壊において学者、知識人の役割を思い起こすこと。また1960年代に行われた「緑の革命」が現地の気候風土を無視し、またエネルギー投下を多くするやり方であったので、ほとんど失敗したことも例に加えられる。(これらに対する批判や別の科学の在り方を検討することは科学者集団の外で主に行われた。現在では、生態系の破壊が人間およびほとんどすべての生物の危機をももたらす(さらにはエネルギー資源の不足もある)恐れがあって、生態学は経済発展を抑制する主張に使われているが、そこでもその知見は政治的に批判・非難されることがある。
生態学の知見は政治・経済的なのだ。そのことを意識しないと、この学問は危険になりうる。この本はほとんど無邪気といってよい。
これを読んで京都学派の生物学とそれに関連した研究によくかぶれなかった、というのが個人的な述懐。第3部で、生物−環境系を主題にしたとき、棲み分けとサクセッションが使われる。人間がさまざまな土地でさまざまな土地利用と生産様式をもち、社会体系を持っているという指摘のあと、それは棲み分けの結果であり、生物−環境系のクライマックス(極相)であるのだと主張される。これは、科学理論を社会学や思想史に拡大適用した例であるとおもう。生態学の知見がそのまま人間社会にまで到達するというのは、途中の議論をすっ飛ばしたものだ。そのような拡大適用の例が和辻哲郎「風土」や梅棹忠夫「文明の生態史観」など。これらが京都学派であることに注意。
あと、コミュニティが植物生態学で「群落」、動物生態学で「群集」、別の文脈では「共同体」と訳し分けられている事が興味深い。communityがその言語では多様な意味を含んでいること、日本語に訳されたときいくつかのタームの共通性に気づかなくなること、そんなところが面白かった。