odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

宇井純「公害の政治学」(三省堂新書) 1968年に出版された新書。当時ほぼ唯一の水俣病のレポート。

 1968年に出版された新書。多くのページは水俣病の発生から1968年当時までの状況を主に新聞記事を使って紹介している。著者は1961年ころから個人的に水俣病の調査を始めているのだが、ここでは極力個人的な体験を後ろにおいている。新聞記事や委員会報告書などを使っているのは、客観的な記録を目指していることと、病気と地域から捨てられた漁民の生活の悲惨さを強調するためであるだろう。それは成功しているとはいえ、公害に対する著者の憤りはうしろに隠れていて、それはまた別の本で読まなければならない。
(追記 2023/8/6 原田正純水俣病岩波新書の刊行は1972年。)

 さて、自分なりに重要な指摘を抜粋しておく。
・この国の公害は明治時代後期から始まっている。足尾、別使銅山の鉱毒事件、日立の煤煙事件が有名であるが、そのほかにもいろいろある。
・場合にもよるが、当時は民衆、一般者、貧困者の主張を認める結果が出ることが多かった。その理由は、地主・大農家など金と時間と知識のある有力者が運動の指導者となりしっかりした組織と運動方針をもてたこと、および住民よりの政策をとる自治体官僚がいたこと。もちろん資本とステートがタッグを組んだ足尾のような場合は、住民は孤立され捨てられる。
・反公害運動がなくなるのは、不況と翼賛体制ができてから(逆に言うと政党政治の壊滅以後になる)。
・ふたたび反公害運動が起こるのは1950年代以降。高度経済成長はすなわち環境破壊を起こしたのであるが、資本もステートもGDPとか企業利益の極大化を目指していたので、住民および住環境の問題は無視された。
 こういう視点をもってこの国の経済史が書かれたとは思えない。1960-70年代の反公害運動を経て、資本・ステート・ネーションがいかに変化したか(21世紀以降にいずれもが「エコ」を標榜するようになったなど)を検証する作業が必要なのだろう。たんに自分が不勉強なだけだろうが。
 著者の意見のまとめ。
・公害問題は4つの段階をへる。1)発生、2)調査と原因判明、3)反論、4)うやむや(で放置)。2の調査には企業や自治体は参加するが、原因が判明するあたりから非協力的になる(「本社の指示がないと・・・」「企業秘密で・・・」「いつでも雇用を打ち切る・・・」)。多くの公害原因企業は自治体の税収の多くを占め、多数の雇用を抱えているから、自治体は企業側にたつ。そのような企業育成をしてきた中央官僚はもちろん企業の側にたつ(さらに後処理をする仕事をしたくないので、責任をたらいまわし)。また自治体や官僚は企業に都合のよい調査結果を出す大学教授などを招く。また原因究明委員会、斡旋委員会などを組織し、時間稼ぎをおこなう。当然これらの委員会には住民代表はいない(せいぜい市長だが、企業側にたたざるを得ない)。
・既成組織、とくに革新側といわれる組織は公害問題の解決に役立たない。まず労働組合は自身の雇用確保のために住民を敵対視し、反公害運動を妨害する。当時の政党もまた組合の支持を必要としたり、経済成長を批判する綱領がないので、やはり反公害運動、住民運動を妨害する側にまわる。
・悪質なのは、大学教授などの科学者。現場を見ないで、おろそかな実験や調査で原因不明ないし天災あたりに原因をこじつけ、問題解決を引き延ばす。
・公害防止費用は、公害保証費用よりも安い。なので、予防的に対応することが重要。
・公害に対して第三者の立場はない。何もしないことは加害者の立場に立つこと。「専門家」を称する人は公害の加害者の側にたつことがい多いので、疑ってかかれ。住民自身がその問題の専門家になることが重要(この人は「同じことを10年やれば、どんなことでも専門家になれる」といっている。それくらいの長期間関わる覚悟でいれば、自称「専門家」と論争できるところにいける)。
・公害は弱い立場に押し付けられる。すなわち、子供や老人であり、第1次産業従事者であり、未組織労働者である。
・反公害運動で、陳情などを使ってこの国の統治組織を下から上に上っていくやり方は絶対に成功しない。同時にすべてを相手にしない限り成功しない。すなわち被害者=住民が運動の中心になること、だれかを頼ってはだめ。個別の反公害運動では人や金や知識の制限が生まれるので、他の運動体と連帯することが必要(同情や憐憫は問題を解決しない。解決するのは連帯、と作中でだれかがこんなことをいっている)。
 これらのまとめは、まだまだ有効であって、それこそ自然災害被害から復興であったり、マチやムラ起しであったり、職場のパワハラ被害であったり、そういうさまざまな「運動」に応用できる。同時に、被害や問題からとおく離れたところにいて「なにかしたいがなにをしていよいかわからない」人々にも行動の参考になるだろう。

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