odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

宮田登「神の民俗誌」(岩波新書)

 「人の一生の折り目や自然とのかかわりの中で出会う種種の災厄に対応して、さまざまな神仏が生み出される。産神、山ノ神信仰、厄払いのお参り、さらには合格や商売繁盛の祈願、道祖神の祭り等等。日本人の日常生活の中で生きつづけてきた民俗信仰の多様な姿を描き、そこに現れてくる伝統的な宗教意識を探った民衆精神史の試み。」
http://www.amazon.co.jp/dp/4004200970

 なるほど日本では、神学研究は文献調査ではなくて、民俗の研究によらなければならないのだな。ユダヤキリスト教や仏教には多種多様な文献があってそれを読まないわけにはいかない。この国では神というのは「ロゴス」に現れるのではなくて、行為や習慣において現れる。そういう神々が日本の神なのだろう。こういう神はオーソドックスな教義にまとめられず、場所や職業によって力点が変わり、そこに別の思想や宗教が混交することになって、この狭い土地の中でも多様なあり方を示すことになってしまう。そこから「日本人」というものや「日本の神」を抽出するのはとても困難なことなのだ。
 そういう日本の神々の思想を探るのは難しいけど、とりあえずハレ・ケ・ケガレという3項にまとめられるというのは大体一致したところ。ケは日常。ケは食であって、また気のことでもある。ハレは祝祭的な特別な機会。もともとは白米を食べる機会であったという(通常、米を食することはなくて、雑穀のヒエやアワや麦を炊き込んだものを食べていた。白米は貴重な食事)。それが転化して、特別な表彰になったのだろう)。ケガレはたぶんもともとは食(ケ)の不足した状態。もうひとつは気の不足した状態。いずれも生産の低下で、生命に危機の訪れかねないときのこと。それが音が一緒だからか、別の聖と汚れのことをいう穢れ(汚れ)と同じ意味を表すようになった。
 さらに、穢れの一般通念は「死穢」と「血穢」に示される。だから死のときには穢れを落とす儀式が必要になり、血の代表である女性の月経や出産もまた穢れたことであって、儀式を執り行わなければならない。とはいえ、何を穢れたものとみなすかは地域と職業による変異がたくさんあって、一概にこうであるということを示すことも難しい。(まじないなんかにはこういう穢れの通念が反映していて、自分がガキだった1960年代のころ、動物の死体や汚物を見ると、ケガレ落としのまじないをしたものだ。指で円を作ってそこからつばを吐くとケガレを払うことができる、というような。脱線すると、ケガレ落としの儀式はだいぶ廃れてはいるものの、ケガレの通念はまだまだ色濃く残っていて、それはたぶん差別意識の底にあると思う。差別発言が臭いや色なんかで表現されることなど。)
 こういうハレとケ、ケガレは大体一年を通じて細かく設定されていて、その都度、儀式を行う。さらには人の一生もこういうリズムがあって、厄年のようなケガレ落としの儀式もあれば、成人・結婚などのハレの儀式も用意されている。ケを維持することが重要なのだが(だから儀式をしっかりと執行、伝承しなければならない)、いずれは死というケガレにむかうことになるので、それを克服というか取り除くために葬式や先祖供養も行って、よみがえり(ケの再生産)を試みる。こうした日本人の意識はなかなか言語化できず、なるほど「日本人は特別(ユニーク)」という言説に連なることになる。これに巻き込まれないで、物事を考えるのは難しい。