odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

波平恵美子「病と死の文化」(朝日新聞社) 医療人類学がみた日本人の死生観。医療は伝統的な死生観に侵食する。

 各論文のキーになるセンテンスを集めた。必ずしも原文とおりではない。ほとんどの論文は1980年代後半に書かれた。

1.日本人と死 ・・・ 日本人は儀式を通じて死を考える。思想的、観念的に死を考えることは少ない。日本人は遺体にこだわるが、死を確認することのこだわり。日本人は死者を言及するときに、死者と生者を同一視する(「死者の無念を考えうるとき」「生きていたらなんと喜ぶだろう」)。生き残ったものは、自分の思いを死者の言葉で代弁する。
2.日本人の死生観と現代医療 ・・・ 日本の社会は規模が大きく社会制度が整備されている一方、組織への帰属意識が強いので、伝統的社会の性質をもっている。13回忌、33回忌、49回忌など長期の儀式は仏教社会では日本のみ。日本では死を観念ではなく、個人の死で考える傾向がある。脳死は、従来の死の段階的な確認方法にそぐわない。家族による「駄目だし」とみなされ、臓器の摘出はさらに死の確認を混乱させる。臓器移植では従来の献身、奉仕、犠牲などの行為の方向、対照性が失われる。日本人は、「顔を知らない人」への扶助、献身はまだ発達していない。「顔を知っている人」への扶助、奉仕、義捐などは積極的に行われる。癌告知であらわになるのは、自分の死と家族の死では考え方が異なる(「自分には告知してよい、家族には告知したくない」)。これまで日本人は個人的な人間関係の中で死を確認し、その人間関係を保持しようとしてきたが、現代医療では医療者という他人が死の確認をし、個人的な人間関係に介入するようになった。多くの人はそれにストレスを感じている。
3.癌告知は誰のためか ・・・ 結核抗生物質によって治癒できる疾患になったのち、癌は死のイメージが強化され、「人が死ななくなった時代の死に至る病」とみなされている(実状はそうではなくなっている)。癌告知の問題は、(1)患者が生きる意欲を失い医療やコミュニケーションを拒否しかねない、(2)患者の家族が患者とのコミュニケーションのとり方ができず、心的外傷になりかねない、職場その他周囲の偏見と差別を受けかねない、(3)医療者と患者やその家族とのコミュニケーション不全を引き起こしかねない、など。癌告知に当たっては、患者・家族・医療者それぞれをケアする体制が必要である。同時に、告知が医療打ち切りにならないようにしなければならない。
4.癌性疼痛をめぐる医療 ・・・ 現代医療は特定の文化に結びついて発達したもので、伝統的な医療体系や身体意識と齟齬をもつことがある。癌性疼痛はコントロールできるが、そのことを理解しない医師・患者・家族がいる。疼痛コントロールを行うことはQOLの向上に必須。医療機関の各現場で治療、説明などが統一されることが望ましい。
5.医療の進歩と文化のきしみ ・・・ 現代医療が人類の「ヒト」としての普遍性を基盤として発達し地域その他の特殊性二依存しないで成果を挙げてきた。その一方で、現代医療の普遍性は身体感覚や死の意識など文化的な基盤と齟齬になりやすい。そのため、脳死・臓器移植などでは啓蒙、経済的利得による説明のみでは社会がなかなか受容できない。しかし変わりつつあるようだ。
6.脳死と臓器移植 ・・・ 日本人は死を理詰めで考えることをなかなかしてこなかった。脳死と臓器移植は伝統的な死や死体の観念を大きく変える契機になっている。ただし、いろいろな事情でこの考えること・議論すること自体ができていない。
7.エイズのイメージ ・・・ 以下の6つ。(1)特定の人々や特定の行為の結果発症する、(2)「外」から持ち込まれ「異界人」が媒介する、(3)人間の正しくない行為に対する「罪の病」である、(4)人間に壊滅的な打撃を与える、(5)病む人に確実な死をもたらす絶望的な病である、(6)性にかかわる病気である(正しい性行為、性生活をしていないことへの罪でもある)。そして社会の不安を顕現し、偏見や差別を拡大する。罹患した患者、おもに貧困者やマイノリティの格差を拡大する。国家が軍事的な対策(防疫、隔離など)を行い、統制の権力を行使し、拡大する(きっかけになる)。1980年代のエイズパニックの調査レポート。
8.家族もまた病む ・・・ 上記のまとめのうち家族に焦点をあてたもの。末期がんそのた治癒しがたい疾病にかかった場合、家族と医療者には矛盾するような期待がかけられている。しかし、患者・家族・医療者のそれぞれをフォローするには、さまざまな問題がある。たんに患者のケアだけではすまず、場合によっては行政サービスも必要になるだろう。
9.「医」の肥大化 ・・・ 医学や医療が社会的に大きな比重を占めるほど、人々が病気に固執する現象を生み、医学や医療の水準があがるほど専門家・医療者と素人や患者の落差がおおきくなる。その隙間を埋める形で、信仰と結びついた医療や代替医療が生じてくる。
10.民間療法と現代医療 ・・・ 民間療法が繁盛するのは現代医療が高い治癒率をもっているから(ある点では民間療法や代替医療は現代医療のフリーライダーであると自分は考える)。民間療法の特徴は、「病気というイメージ」「健康イメージ」をわかりやすく提供していて、またクライアントとのコミュニケーションを大事にしているから。それは現在医療では提供できないか、しにくいもの。さらに民間療法は「観客」を意識したパフォーマンスを行っていて、集団・患者・家族などのコミュニティを形成するようにしている(観客が熱心な支持者となって勧誘活動をする)。
11.医療人類学からみた日本人の死と生 ・・・ まとめてきな論文。印象的なのは、医療の発達により、病識がないのに病人になるようになった、症状がないのに病気であると思い込むひとが生まれるようになった、という指摘。その背景として現代医療は「病気が治った」という実感を与える手段を多く持たない。
12.文化と病気、そして医療人類学 ・・・ 医療人類学という学問の概観
13.医療人類学の現状と展望 ・・・ 同上
14.病気と治療の文化人類学 ・・・ 伝統的医療は呪術的なところがあったりするけど、患者や家族に対して社会的、全人的な病気の説明を行うことができ、それが患者や家族の不安を取り除くことができる。
 かつては十分に理解できたと思ったけれど、医療に関する領域の広さ、人々の社会的文化的な認識など、これらの問題を理解するために知るなければならないことがたくさんある。安易に結論をだせないなあ、という凡庸な感想。たぶん、個人的な体験、ごく少数の周囲の人の体験に依拠した判断では、正しく(個人敵にも、社会的にも、経済的にも)判断することはできないだろう。