odd_hatchの読書ノート

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レイ・ブラッドベリ「ハロウィーンがやって来た」(晶文社) 魔法使いじみた男が祭りの起源を見る冒険に少年たちを誘う。人は自分の一年を他人にあげることができるか。

 ハロウィンの朝、12歳のトムは友人7人と連れ立って、もっとも少年らしい少年ピプキン(パンプキンなんだろうな)を迎えに行く。いつもは元気溌剌のピプキンは調子が悪い。後から来るというので、町外れの古めかしい館で肝試しをしようとする。「Trick or treat」というと、普通はもてなしを選んで菓子をくれるのだが、その魔法使いじみた男は「いたずら」といい、少年たちを途方に暮らせる。そして男は少年たちにハロウィンがどんな起源を持っているのか知りたくないか、いっしょに冒険にいかないかと魅力的な提案をする。おりしも遅れてきたピプキンが<闇>に連れ去られ、少年たち8人はこの男(マウンドシュラウドと名乗り、屍衣の塚という意味だ)といっしょに凧を作り、風の中を歴史の旅をする。
 彼らの訪れるのは、原始時代・古代エジプトの宗教儀式・古代ローマ・中世イギリスの穀倉場・現代メキシコのカタコンブ。そこでは死が目に付くところにあり、人々は死と闇を恐れ、毎日太陽が殺され翌朝再生するのを見ているのだった。ハロウィンは旧暦では一年の始まりで、その年の豊穣さを祝うとともに、疲れた時間を埋葬し、翌年の再生を願うものであった。そのような特別な時間において、死者は生者を訪れ、生者に慰労され、一年間はおとなしくし、もてなされたお礼に翌年の豊穣さの祈願を神に伝えるのだった。だから(と著者はいうのかな)、いまのハロウィンは起源と意義を失って、商業化された制度にしかなっていない、むしろ貧困であるがゆえに生と死の境が不分明なところのほうが、生はより生き生きとしていて、楽しむものになっているのだ。
 だから、マウンドシュラウドがピプキンを助けるために、少年たちに持ちかける問い、「君たちの1年を私にくれればピプキンを助けてやろう」が重要な意味を持ってくる。もちろん少年時代には一年は長すぎる時間でその重みなどなきに等しいが、マウンドシュラウドがいうように老年になり、余命が少なくなったときに、この問いかけの答えは重要な意味を持つだろう。私は他者のために生きてきたのか、に答えられるかということか。
 物語最後、トムがマウンドシュラウドに「あなたは誰か」と問いかけるのだが、マウンドシュラウドははぐらかして答えない。自分のような中年をもう少しすぎたすれっからしになると、彼はトムの成長した姿、おそらく死の直前にいるトムであって、このファンタジーはトムの朦朧とした意識の中でつむぎだされたものであるのかもしれない。そんな感想をもつ。
 ストーリーはどこか宮沢賢治銀河鉄道の夜」を思わせるものであって、本邦作にないのはマウンドシュラウドという旅の御者あるいは老いた賢人であって、そこのところの違いが面白い。
 子供向けのファンタジーで、作家生活20年目ころの作になる。いろいろなところで、かつて彼の書いてきた短編のイメージがここに書かれていた。

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