odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

鶴見俊輔「語りつぐ戦後史 III」(思想の科学社)

2012/06/30 鶴見俊輔「語りつぐ戦後史 I」(思想の科学社)
2012/07/02 鶴見俊輔「語りつぐ戦後史 II」(思想の科学社) の続き。
 1巻、2巻が戦争中にすでに職業についていた人たち、すなわち自分はいかにあるか(食うか)がはっきりしている人たちだった。3巻からは戦争中が学生かそれより下のひとたち。相違があるとすると、赤紙で徴兵されて20歳になったら死ぬのだ、ということを観念的にも現実のこととしても直面していること。もうすぐ死ぬ自分がいて、そこで「今」をどう生きるかということを常に考えていた人たち。

岡本太郎 ・・・ 岡本の発言は支離滅裂で何を言っているのか自分にはわからない。まあ、権威とか伝統とかで彼を縛るもの、彼の感性にあわないものにはすべて異をとなえたい、それに反逆する作品をつくりたいのだ、ということかな。それが原色かうねる力強い曲線とかシンプルで大胆な構図とかに現れているのだろう。とにかく彼は「現実」に常にいらだっているようだ。一方で相当の自信家でもあって、70年万博でピラミッドでもエッフェル塔でもないものを作ると豪語している。それが「太陽の塔」というわけだ。

いいだもも ・・・ 戦争中に徴兵されたが身体検査で不合格になり、学校もやっていないので、毎日東京に出てはめしをくう浮浪の生活をしていた。共産主義運動に参加していたが、党のおかしさには批判的であった。スタンスは自己風刺、諧謔、ユーモアの脱構築戦略。これらを認めない三島由紀夫は型を極めるしかないだろう。それを滑稽と認めたら、この世になすべきことはない(この対談は1968年12月)。

堀田善衛 ・・・ 座談の名手。余談で面白かったのは、この国の人は腹が減ると叙情的になる(「リンゴの歌」)、スターリニズムは引きこもり、ソ連以外では非スターリン化はおきていない、など。でたばかりの「若き日の詩人たちの肖像」を読んで、この国の左翼はなにかきっかけがあると数日で右翼に転向する、マチネ・ポエティックはうすっぺらな銀紙に戦時中の自分を託した、とかがよく書けている。対談の日は東大安田講堂が落城した1969年1月19日。各階で降伏するというのは、日本帝国主義よりだいぶよい、玉砕とか最後の抵抗という感じがしない、敗北感がない、という感想。

開高健 ・・・ 戦後の焼け跡を見てある種のすかっとした爽快感を持ったが、それは明治期生まれの人の感じとは決定的に異なっている(川端康成のような「美しい日本」というナショナリズムやノスタルジーは自分には無援、と開高はいう)。「戦後」という時空間で異国の人との積極的な交通を体験したのは、シューシャイン・ボーイとパンパン。かれらはどこにいったのか。政治宣伝の天才はこの国にはいない(20世紀にはレーニンヒトラー毛沢東ホー・チ・ミンカストロという天才がいた)。

大江健三郎 ・・・ 「村」には恥ずかしさと誇りの両立するアンヴィバレンツな感じを持っている。かつては村が戦後民主主義を受け入れることでこの国を変える力になると思っていたけどそうではなくて保守的だった。村には重層化された歴史がある。フランスやイギリスには日常の言葉と哲学の言葉と両方に使われる言葉があるが、この国だとそれは分裂していて、元の言葉の重層性とか歴史性とかが消えてしまうなあ。あと転向して元に戻ってきた人がホンモノだとおもう感覚がある。一度だめになって、もとにもどって、まともに死ぬのが全うな生き方(自分の感想では、そういう主人公がでるのが「懐かしい時への手紙」や「宙返り」であった)。

小松左京 ・・・ 戦後、最底辺のところで暮らしていると、国籍は意味がない。リーダーシップとか有能さとかそんなところが評価の基準になる。あとはようわからんわ。

高橋和巳 ・・・ 観念的な話がおおくてよく理解できない。まあ、中学生のときに農村に動員された。当時は山の林を乱暴に伐採してひどい水害が起きた。田に10cmも泥のたまる状況で、インテリや都会労働者は仕事を諦めるところを農民は鍬でかき出している。その光景に感動した。

金達寿 ・・・ 併合状態の韓国出身。学校にいったことがない。この国に来て学校にいった。この国にいる朝鮮人はインテリと大衆がうまくつながっていた(集落の物書き仕事をインテリが依頼され、かわりに生活物資を分け合うという関係)。それが敗戦後の組織化につながる。8月15日は盛装かつ正装する気分で迎えた。10月10日に思想犯が釈放されたが、それを迎えにいったのは朝鮮人のみ(ここは羽仁五郎の述懐と共通)。占領下にあるところから自国の独立を迎えるまでの経験(というかなにをするのか)は韓国に学ぶところが大きい。

なだいなだ ・・・ 敗戦時は軍の幼年学校。2週間前に兄から終戦交渉の情報を得ていたので敗戦は特に印象にのこらない。8月15日はこの国にだけ意味のある日付(大岡昌平堀田善衛の述懐と同じだ)。むしろ8月6日の核のほうが重要。ペンネームはスペイン語の「No and No」だそうな。語の発音には正当はない、多数派があるだけ。しかし多数派はオーソドックスと誤解される。戦後のアプレゲールのことば「俺たちは右でも左でもない。前なんだ」。

寺山修司 ・・・ 思想の言葉、学者の言葉は貧困。それは大衆(当時の用語だ)には通じない。ラジオのヒットソングとは別にお手伝いさんだけの流行歌もある。後楽園ホールに集まる連中は「世界(岩波書店)」を読まないが、彼らにも沖縄問題がある。彼らに通じる言葉で書く思想もあるべき。ちなみに鶴見俊輔は「ニセ科学」という言葉を使っている(対談は1969年9月に行わた)。鶴見の言う「ニセ科学」は、学問の方法とは別の思考方法とか思想とかいうもので、呪術的思考、類推的思考に近いもので、昨今の「ニセ科学(水伝、血液型性格判断マイナスイオンなど)」とは別物。

小田実 ・・・ 日本は特殊な国ではないよ、万国とおなじくちょぼちょぼの人間の集まっている平凡な国のひとつ。敗戦の前の空襲で町(大坂)が焼け野原になって、秩序がめちゃくちゃになった。田舎を持たないとか平和時でしか仕事のない家(父は弁護士)なので、焼け野原で底辺に落ち込んだ。なにもかもが一緒くたになるという経験をしたので、獄中18年というのはとくに重大時とは思わない。


 どんどん死んでいくなあ。一番若い登場人物が1936年生まれの寺山修司。「失われたときを求めて」の述懐ではないが、彼は死んでしまった、この人も亡くなった、と写真を数えることになる。この巻に登場したのは、当時30代の若手たちだったのだけれど。
・多くの人は「うしろめたさ」をもっている。同級生が空襲で死んだとか、戦場で戦友が戦死や病死をしたとか、そういう経験をもっていて、このとき生き延びると死ぬにはほんの少しの境目しかなく、たんに偶然で生き延びたものがたんに偶然で死んだものに負い目を持っていて、それが後ろめたさになっているのだなあ、と。もうひとつは本来自分は「本土決戦」で死ぬべきであったのに、なぜ生き延びたのかということ。自分が生き延び、彼らは死んだのはなぜか。彼らの同世代には共通する感情で、そうでない生まれのものには理解しにくいことではあるが。「後ろめたさ」「負い目」というのは戦後文学などの書き手に共通しているのでいちおうチェックしておく。
インターナショナルであること、国際的であることというと、イギリス人とかアメリカ人とかフランス人とか(なぜかロシアやドイツ、ブラジル、メキシコ、インドなどはあがらない)と会話すること、ないしその国を訪れることのように思われている。まあ、明治の開化政策などで優秀な若者の留学した先がそうだからということなのかな。そんな大層なことはまったくノンセンスであって、朝鮮人とか中国人とかそういう他国籍の人はこの国の国土にたくさんいるのであって、彼らとの交流は文字通りに国際的、インターナショナルな感覚になるものなのだ、という指摘。ここは重要。あいにくのことながら彼らに対して「後ろめたさ」「負い目」を感じる歴史をこの国は持っているからややこしいのだけど。
・この国が「占領」されていたということは歴史書や教科書にはほとんど書かれていないことだった。自分でも「占領された国」であったということを意識することはほとんどない。でも、たしかに一国によって8年ほど占領されていて、それは他の国の占領状態とはかなり異なるものであったらしい、ということは事実。というわけで、この国の「黒歴史」、ないことになっているような経験というのは重要と思う。
2015/04/10 竹前栄治「占領戦後史」(岩波現代文庫)
2015/04/13 読売新聞編集部「マッカーサーの日本 上」(新潮文庫)
2015/04/14 読売新聞編集部「マッカーサーの日本 下」(新潮文庫)
・1968年から1969年の対談であり、多くの対談者が大学に職を持っていたので、学生運動の影響(というか学生に対して教官が腰が引けている様子)がよく見える。大正教養主義に青春時代を持った人は学生に強圧的だし、1930年代に青春時代だった人はゆらゆら振れているしで、ここらへんの対応は面白い。なぜか、を問うつもりはないけどね。
 一時期、講談社文庫にはいっていたようだ。