odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

加藤周一「雑種文化」(講談社文庫)

 1950年代にフルブライト留学生として欧米を訪問した経験を持つ著者が、同時代に書いた批評論文集。戦中は東大医学部生でありつつ、中村真一郎福永武彦らの仏文学生と文学をたしなみ、堀田善衛田村隆一などとも親交があった(堀田善衛「若き日の詩人たちの肖像」参照。作者自身による回顧は「羊の歌」)。その後、医学生としてパリに留学。帰国後は評論活動に専念。この著書は、帰国後の文章(著者の30代前半)をまとめたもの。前半に日本文化が諸外国の文化を積極的に受け入れて日本的に変容してきたことを明らかにする論文2本があり、反響を呼んだのでタイトルにしたもの。
 さすがに、記されてから50年もたつと卓見というわけにはいかなくなり、ほとんど「常識」のような話ばかりということになる。逆に言うと、書かれたばかりの時代では圧倒的な先進性を持っていたということになる。海外留学の経験を持つものは当時ほとんどいなかったことを考え合わせると、この瞬間、加藤周一は1980年代の「浅田彰」みたいな知のアンファンテリブルであったということかな。そのあとどういう活躍をしたのかはあんまりよく知らないので、いい加減なものいいであるのは承知の上で。
 作中、1955年の松山の日教組大会をレポートしていて、彼の目には当時の義務教育の内容が十分ではない、社会に出た後に通用するような人を養成するものではないといっている。たとえば、中学までの国語教育では新聞の社説を読むことはできない、詰め込み教育を否定しているが国語や計算などは詰め込みをしないと応用すらできない、計算の基礎能力が低い、自発的学習とは聞こえがいいもものその内容は乏しい、民主的ということを図式的に捉えていてマナーや社会ルールを教えるには体罰もありうるのではないか、というような批判をしている。
 著者の想定する義務教育というのはいったいどういうレベルにあるのだろうか。この論文が書かれた当時の小中学生が親になったころ、小中学生であったわれわれの世代も学力低下や三無主義を批判された。さらには今の小中学生も、その20年前に小中学生だった人=2011年現在の大人から学力低下を批判されているのだ。いったいどこまでこの国の学力は低下し続けているのだろう(笑)。ま、教育、育児は素人が自分の体験をベースにいい加減な教育論を提案することがあるので、注意、注意。
  

斉藤喜博「君の可能性」(ちくま文庫)