大学卒業後、どこからの関心か忘れたけれど哲学を知りたくなった。たぶん別冊宝島の哲学特集あたりに端緒があり、それ以前に科学論や科学史を読んでいたからその延長になるのだろう。そういうわけで、当時(1985年からだったかな)刊行を始めた「新岩波講座哲学」全16冊を予約したのだった。一冊2800円は高いものだった(当時の手取り給与は15万円くらいか)。で、読み始めたものの歯が立たなくて、いつしか本棚の片隅で埃をかぶることになる。
ようやく今日(2006年)にいたって、再度挑戦しようということだ。前回はギリシャ哲学における「テクネー」についての論文の途中で挫折している。そこから読み継いだが、やはりだめ。自分はギリシャ哲学には向いていないと痛感させられた。次の論文はギリシャの魔術の話、そのあとはヘルメス学の話。このあたりになるとすでに知っている情報が出てくるので、わくわくしながら読み進めることになる。この20年でおよそ2000冊を読んでいるはずだから、過去歯が立たなかった案件でもどこかに引っ掛かりがでてくるものだ。まあ、30ページの論文(70-100枚くらいか)では議論を詳細に展開することはできないので、註や参考文献を読んでください、この論文は入門で全体の見通し図なのですよ、ということになる。
後半になって科学論と近代科学のことが主題になると、自分には懐かしい。科学の制度化の話は廣重徹「科学の社会史」に詳しかったなあ(それに比べると雑な記述だなあ)とか、19世紀ヨーロッパの科学者ソサエティはだれか(荒俣宏?ちがうか)で読んだことがあったなあ(ホームズ探偵譚あたりには彼らの主催による講演会の記述があったなあ)とか、1980年代は「ニューアカ」が売れたがその一方で科学論や科学批判も人気のある分野だった、クーンやポパー、ファイアーアーベントなんてよく聞いた名前だった(最後の人はいまどうなっているのだろう、とんと名前を聞かない)とか、社会が科学に及ぼす影響力なんてのは当時は斬新な視点だったのだなあとか、遺伝子操作の勃興期であるせいか生物学の話がとんとでてこないなあ(生命倫理が重要視されるのはこの後、薬害エイズと脳死判定問題あたりからか)とか。
PCの廉価化、インターネットの登場と普及、携帯電話にGPSなど90年代に生じた変化によって、科学と社会と個人の関係はかなり大きく変わってしまった。その成果、25年前の文章は個々の記述には感心できるのだが、21世紀の本となるには対象が古くなってしまった。
- 作者: 大森荘蔵,中村雄二郎,滝浦静雄,藤沢令夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1988/06
- メディア: ハードカバー
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