odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

新岩波講座哲学「経験 言語 認識」(岩波書店)

 これも20年近く前に読もうとしたもの。中途まで読んで挫折した論文はすっとばして、次のヴィトゲンシュタインに入ったらすらすらと読めた。
 仮に同じテーマで論文集を編もうという企画が10年をさかのぼって1970年代にあったとしたら、経験論と合理論からカントに至る認識論とマルクス唯物論が主な論点になったことだろう。ところが1980年半ばの企画になると、11編の論文のうち7編が「言語」を主題にしていて、うえの二つの議論はどこにも現れていなかった。1970年代後半からフランスの現代思想が紹介され、さらにソシュールが(再)発見されたことで、この種の議論が優勢になった。おまけにパーソナルコンピューターの揺籃期には、どのように機械に認識させるかという問題がヴィヴィッドに表れていて、以前の古い生理学に依拠していた(ような)認識論はすっとんでしまった(と思う)。なにしろ、凸レンズによる光の収束を眼のレンズの機能になぞらえ、視神経経由で脳に像が転移されるというのが1980年代にあった認識論の説明だったのだから。これはデカルトガリレオ時代の科学技術のままなのだ。現在の科学知識を動員した認識論というのは、この時代にはまだなく(哲学者も研究成果を追いかけるのに精一杯のようだった。認識論を学ぶならコンピュータ研究由来のパターン認識や、神経生理学とか免疫学なんかが面白かった)、混沌としていた時代であったのだなあ、と懐かしさを感じる。(といいながらも、第5世代コンピュータや生体コンピュータの挫折があったりしてこの方面の研究は頓挫しているのかな。パターン認識は理論が進んだというより、演算処理速度の進化で対応しているようだし、免疫学の発見も1990年以降は停滞しているようで哲学分野からのアプローチは少なくなっているようだ。認識論の現在というのはどうなっているのかな。もう、あんまり興味はないけど。)
 ここには丸山圭三郎と大森壮蔵という人気哲学者が寄稿していて、やはりこの二人の論文は面白かった。

 もう一回このシリーズにチャレンジしようと思ったけれど、自分の関心が哲学から離れてしまったので、読むのが苦痛になった。なので、シリーズまとめて古本屋に放流。さようなら。

新・岩波講座 哲学〈2〉経験・言語・認識

新・岩波講座 哲学〈2〉経験・言語・認識