odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

フレッド・カサック「殺人交叉点」(創元推理文庫)

 マザコンの気のある大学生がいる。あるいは母の干渉が過ぎて、意気阻喪しているのか。息子の取り巻きを集めたサロンに学生の友人が集まるが、母は息子に近寄る女を排除する。息子は数人の女を捨てた後、バカンスの最中に殺されてしまった。状況は一緒に死んだ女との痴情のもつれらしい。互いに殺しあった二重殺人として警察は捜査を打ち切る。学生の取り巻きたちはいつしかばらばらになり、10年がたつ。しかし、実はそこにいた別人が犯人だったのだ。偶然撮影されたフィルムを入手した人物がいて、それをネタに犯人と母親をゆする。時効成立4日前。母親は復讐のために、古い事件の犯人は現在の地位の保全のために、ゆすり相手に虚虚実実の駆け引きを行う。そして、最後の日、悲劇が・・・
 という具合。最後の1ページに素晴らしいトリックが控えていて、これ以上の話はできない。
 とはいうものの、似た趣向のミステリはその後にたくさん書かれている(原作は1957年)ので、「驚愕」というわけにはいかず、実は冒頭の30ページくらいで真相は割れてしまった。だからといって、この作品が貶められる理由にはならず、1950年代というあの時代を見事に活写したナラティブはよいものだと思う。
 この作品、数回紹介されてはいるものの、ほとんど話題にならなかった。その理由はというと、書かれた時代1957年からしばらくの間は、このような余暇をすごす優雅な大学生というのは日本にはいなかったからだと思う。「太陽の季節「われらの時代」あたりは似た時代の大学生を描いたものではあるとはいえ、それは特権的なごく少数の人々の話。この時代のパリの大学生の恋と三角関係のアバンチュールを同時代的な息吹を持って感じるには、1980年を越えなければならない。そのときには、「大学生」が特権的な存在でもなく、彼らもそのような選民であるという意識が失われていたから。創元推理文庫版で紹介された1990年代後半にようやく評価されるようになったのは、そのような時代背景の変化を読み取る必要があるだろう。
 それは書き手の方にもあって、ほとんどすべてのこの国の新本格というのは、大学生の永遠に続く夏、その退屈と非日常を描いたものではないか。だから、この作品の評価の変化にも、ミステリの社会的役割の変化をみるべきなのだろう。
 併録の「連鎖反応」は、広告代理店の地位争いと三角関係のもつれを皮肉に描いたブラックコメディ。ノエル・カレフ「死刑台のエレベーター」(創元推理文庫) もそうだが、1950年代フランスでは企業の注目が製造業ではなく、第3次産業にむいていたという証左かな。当時では中学卒業生が「金の卵」として、製造ロットの組立員として働くことが立身出世の第一歩だった。工員の生活を描いた小説は多々あるも、広告代理店のようなモダンな職業に就く若い人というは、これもまたごく少数。あまりにブルジョア的なこのフランスミステリが受け入れられなかったのも理由がある。