odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

岩城宏之「楽譜の風景」(岩波新書)

 1983年に岩波新書で初出。

永遠の未完成
「第9の謎」 ・・・ 前者(シューベルト交響曲第7番:当時は第8番)第1楽章の最終音、後者(ベートーヴェン交響曲第9番)は第4楽章の最初の歓喜の歌合唱の最後でティンパニだけがデクレッシェンドするのはおかしい。

シューベルト交響曲第7番:当時は第8番(楽譜は株式会社全音楽譜出版社版)
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ベートーヴェン交響曲第9番 ☟ 
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自筆譜をみたら、アタックだった。初演かパート譜作成時のミス? 
(追記 2019/11/14 手持ちのベートーヴェン第9の音源を聞くと、1990年あたりをさかいに、以後の演奏ではティンパニのデクレッシェンドはなくなります。1980年代にベートーヴェン交響曲の新しい校訂版(ベーレンライター版)がでてからのことでしょう。
 シューベルトはほかの交響曲でもアクセントかデクレッシェンドかは論争があります。手持ちの音源では、21世紀でもどちらの解釈のものがありました。
seiko-phil.org
岩城の祖父の世代の指揮者はこういう疑問があると、自分で書き換えたのだが(まあ、自筆譜をみるのもままならなったわけだが)、この世代になると自筆譜にあたるという学究の姿勢も指揮者、演奏者に必要。

写譜の筆跡 ・・・ 音楽を知っている人が書いた楽譜は、よい演奏ができる。エピソードで、最近涅槃交響曲を指揮したらうまくいかなかった、原因を考えてみると音楽を感じさせない出版譜を使ったから、というもの。これは片山杜秀がCD評でぎこちないといっているときのものじゃないかしら。調べるとCDになっているのは、1972年NHK響、1982年NHK響、1995年東京都響の3種類。
岩城/N響黛敏郎:涅槃交響曲1972年ライヴ
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作曲:黛敏郎 指揮:岩城宏之 演奏:東京交響楽団 東京混声合唱団 1998年7月2日 サントリーホールにて
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記譜法のディレッタンティズム ・・・ 時として作曲者のアマチュアリズム、自分中心の発想は他人に迷惑をかけるという話。20世紀音楽研究所の活動の様子をしることのできる文章(横溝正史「仮面舞踏会」を参照のこと。)

記譜法の現代病
イタリア語の中間搾取 ・・・ 辞典を見ながらイタリア語で表情や指示を書き込むより、母国語で書いてくれたほうが指揮者には都合がいいんだけどねえ、という主張。でも日本語(韓国語でも中国語でもインドネシア語でもいいが)で書いたとき、西洋諸国の指揮者やオケ関係者は振り向いてくれるだろうか。

メトロノームの不信 ・・・ その一方、メトロノームの指示は当てにならないという話。とくにシゲティ経由で聞いたバルトークの話が面白い(バルトークメトロノームは壊れていたから楽譜の指示は絶対に守るな、という)。あと、VPOとハイドンをやったとき、VPOの古参から天候、客層、時刻などに応じて、テンポを変えろという指示をされた。そのとおりにやったら、ハイドンコンプレックスが消えたという話も面白い。音楽は「場」の影響を受けている。指揮者の仕事はリハーサルの指示で終わり、自分の頭の中の音楽を再現できればそれでよし、ということではないのだね。フルトヴェングラー「音と言葉」を参照。

網膜へのフォトコピー ・・・ 暗譜するときどうしている、とルービンシュタインに聞いたら、「フォトコピー」しているとのことで思わずひざをたたいたよ。岩城とルービンシュタインは仲がよかった。

頭の中のめくりそこない ・・・ メルボルンで「春の祭典」を指揮したとき、間違えてとまってしまった。職業の大失敗をこうして文章にし、世界に公開するというのはたいしたもの。とりあえず誰かに損害を与えたわけではないからねえ。あとは、失敗した人の慰め方がこの国の人と違っているのが面白い。この国だとくよくよするなと慰めるが、かの地の人はジョークにして笑いとばしたのだった。
pacem.web.fc2.com


パート譜、パート、譜面 ・・・ オケの隠語も国によっていろいろ。「I don't know how about your part!」がすばらしいジョークになるというのは、この国だとわからない。

総譜書込過多症 ・・・ 指揮者が勉強するとき、総譜に書き込みをするが、あんまり書き込みすぎるのは勉強を怠ける方法だ(そうなんだ)。あと著作権の切れていない楽譜は貸し出しだから、かってに書き込むんじゃない。こっちが書き込めないじゃないか、という苦情。


 通常指揮者は、練習がすべてで、本番はダンスをしているだけ、といわれるのだが(ネットの掲示板などみると)、もう少し面倒なことがあるらしい。第一、舞台でダンスをする勇気があるのなら素人だって指揮者になれる。しかし、長い曲を振れるかというとそんなことはなく。棒の動きに少し遅れて音が出てくるから、素人だと音の出に指揮棒をあわせようとして、めちゃくちゃになってしまうなど、いろいろやらないといけないことがある。たとえば、こういう楽譜への対し方、それを通じた演奏家たちとの関係の持ち方、指示の従わせ方、などなど。自分は客席から眺めるか、スピーカーを前にして真似事だけしていればいいや。でもこういう話はたくさん聞きたい。
 著者50歳前半のエッセイ。このときが最も充実していたときなのだろうな。世界中のオケを飛び回り、複数の連載をもち、いろいろなイベントを執り行ってきた。あんまりこの人の本は読んでいないが、この作が最もできがよかった。