odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

諸井誠「ロベルトの日曜日」(中公文庫)

 およそ25年ぶりの再読。そうかそれほどの時間がたったのか。最初に読んだときは、わくわくしながら読んで、今度は懐かしさを感じながら。個人的な記憶にある懐かしさであるのと同時に、ここに書かれた1960年後半から70年にかけての音楽事情がそろそろ半世紀も経過したというところが懐かしさの原因なのだろう。
 全体は3部構成。半分がロベルトと名づけられた外国人(国籍不明)と著者自身の会話で語られる尺八音楽、そこから創作の秘密、日本の音楽(それは江戸時代以前の古典音楽について)の特異性、明治以降の西洋音楽受容の歴史とその問題の摘出。2部が当時の奇才、ブーレーズとグールドについて(および壮年時代のチェリビダッケとロジェストヴェンスキー賛)。そしてバーデンバーデンのブラームスハウスでの休暇の記録。重要なのは第1部。
 ロベルトというのは架空の人物。音楽および芸術に造詣が深いが西洋世界になじめず日本に来て、尺八音楽に興味を持ち、さらには日本人の妻を持ったという経歴の持ち主。とはいえ彼は西洋の規範を根っこに持っているので、尺八などの「民俗音楽」に違和感をもつ。それを日本人の西洋古典音楽の書き手にぶつけることにより、互いの差異、あるいは共通点、異文化理解の可能性などを語ることになる。こういう主題は70−80年代には廃れてしまった(バブル期の日本経営最強論みたいなのがはやったおかげで、そういう問題を問うことがかっこよくないときがあったのだ)。個人的にはもう一度、問い直す価値のある問題に思えるけど。
 ロベルトを読みながら思い出したのは、似たようなそういう創作キャラクターがいたなあ。そう、都筑道夫のキリオン・スレイのこと。センセーが書いたのも同じ時期だった。このころから軍人や政治家、ビジネスマン以外の西洋人を見かけるようになったのだ。彼らを通じて日本を考えるというのがひとつの方法だったわけだ。それが「西洋人」であるというところがポイント。このころは、西洋に追いつくことが目標だったのだし。今なら朝鮮や中国、台湾なんかのアジアの目でみることがアクチュアリティを持つことになると思う。
 ブーレーズやグールドに興味をもつ、というのも似た視点からではないかな。どちらも西洋の規範に対する批判者だったわけで、「日本」という離れた場所からみるときに、彼らに焦点を与えるのは面白い実験であるのだろう。この本ではカラヤンベームホロヴィッツのような西洋の本流をほとんど記述していないのだし。
 1930年生まれの著者は当時40歳前後。文章がきりっとたっていて、気持ちよい。そしてとても論理的、合理的な思考。文章を読んでいて、論理を見失うこともないし、主張もはっきりとしている。若い時期にしかかけない文章で、これはとても貴重。一柳とか武満なんかの極めて詩的な文章、たぶん彼らの内部では論理があるけど、そこまで頭のよくない、あるいは彼らの論理になれていない読者にとっては一文ごとに、あるいは一文の中でも理解しかねる読み物はとても手ごわい。でも、この著者のものはそんなことがない。こういう音楽論はあまりない。それこそ、ときどき引用のある吉田秀和くらいしか匹敵しないのではないかしら。(でも1980年代のものになると、この緊張感、論理の冴えなんかがなくなるのだよな)。

[追記]
2013年9月2日死去。享年82歳。音楽と著作で楽しませていただきました。ありがとうございました。

www.youtube.com
www.youtube.com