odd_hatchの読書ノート

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堀内敬三「音楽五十年史 下」(講談社学術文庫) 明治の終わりから昭和の始めにかけての洋楽受容の歴史。合唱運動とSPレコードで愛好家とディレッタントが生まれ、国家が教育する。

2012/08/09 堀内敬三「音楽五十年史 上」(講談社学術文庫)

 続いて明治の終わりから昭和の始めにかけて。ここになると、洋楽の普及めざましく、出来事はいっぱい。なので記述も総花的になるがしかたない。

日清戦争から日露戦争にかけてのトピックは、軍歌と唱歌が普及して、ある種の合唱運動のようなことが起きたことかな。幼児から小学生は学校で唱歌を習い、大人たちはふるい邦楽に飽き足らず、バタ臭い唱歌を歌った。面白いのはこの時期に作られた唱歌や童謡が今でも歌われていること。「桃太郎」「金太郎」「浦島太郎」「兎と亀」「お正月」などなど。この種の国民歌もせいぜい100年足らずの歴史しかない。
・明治の半ばに留学して帰国した連中の活躍が始まったのもこの時期。滝廉太郎三浦環近衛秀麿山田耕筰など。
・大正にはいると戦争景気でもって、いろいろな洋楽関係の新事業が生まれた。1)レコードおよび蓄音機の国産化。倉田喜弘「日本レコード文化史」(東京書籍)に詳しいので割愛。松本泰「清風荘事件」(春陽文庫)小林秀雄「モオツァルト」(角川文庫)に耳あて式の蓄音機の話が出てくるので参考に。さらにはレコードで音楽鑑賞する愛好家が生まれている。その最高の作品があらえびす「名曲決定盤」(中公文庫)。2)巨匠音楽家の来日。ロシアの歌劇団など先例はあるが、名人となると嚆矢は1920年のエルマンから。そのあとジンバリスト、ゴドウスキー、ハイフェッツクライスラーなどなど。当時は有名ではなかったが、ロシア革命で亡命中のプロフィエフも来日中に演奏した記録がある。3)国産楽器の製作と普及。山葉楽器のピアノ、鈴木バイオリンのバイオリン、日本楽器のハーモニカに足踏みオルガンなどなど。4)浅草オペラの流行。昭和初期の録音をCDで聞くことができるので参考にしてほしい。浅草オペラとはすこい離れたところにいた榎本健一も戦後にいくつか録音している。5)交響楽団設立の動き。中心人物は山田耕筰。帝国ホテル発の楽団が紆余曲折をへて、新交響楽団に編成されるまで。6)ラジオ放送の開始(1924年)。とりあえず吉見俊哉「「声」の資本主義」(講談社選書)が詳しいと思う。
・昭和に入ってから来日演奏家には、上記に加え、ティボー、セゴヴィア、ルービンシュタイン、ケンプ、シャリアピン、ワインガルトナーなど。中にはそのまま定住した人もいる。クロイツァーなど。あと、新交響楽団のほかのオケが東京にあったとか、毎日音楽コンクールがこのころ始まり、現在まで継続しているとか、戦後の新進演奏家や作曲家がコンクールで上位入賞していることが注目。伊福部昭とか深井史郎とか。関西の記事がないので登場しないと思っていた朝比奈隆の名を見つけて歓喜朝比奈隆「わが回想」(中公新書)。また歌劇運動に著者は参加していて、ヴェルディプッチーニなどの歌劇上演に寄与したらしい。著者の訳詞はいまでも歌われることがある。
 昭和初期の演奏のうち、マーラーの初演の記録は 柴田南雄「グスタフ・マーラー」(岩波新書)に詳しい。近衛と新響の録音はいくつか復刻されている。特に重要なのはマーラー交響曲第4番の世界初録音だろう。戦前に活躍を開始した作曲家の作品はNAXOSのおかげでだいぶ聞けるようになってきた。
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・戦中の仕事に「日本民謡大観」がある。これは全国各地の民謡を採譜、録音したもの。これは1940年ころに始まり完了したのは1960年代。膨大な録音が日本放送教会に眠っていて、一部はラジオ放送されたり、CDになっている。バルトークコダーイヤナーチェクの民謡収集は有名だが、この国では組織が行った。もはや誰も歌えなくなった民謡が録音で残っているのは慶賀。
 大正以降のトピックは、ここに取り上げるとそれだけで一冊の本になるくらいのエピソードをもっている。そういうところからすると物足りないので、他の類書で補完されたし。また、昭和初期の作曲家の作品を聞くことがだいぶできるようになったので、ぜひCDや演奏会で聞いてほしい。当時の最先端の音楽とドイツ音楽の混交という悪口もいえるけど、十分に面白い。
・ここにないのは、東京以外の地域のできごと。関西、朝鮮、満州、上海などがまったくもれている。また、ジャズなどのエンターテイメントの洋楽ももれているし、トーキーのこともさらりと触れるだけ。歌謡曲もあまり詳しくない。
・重要なのは、大正から昭和の対米戦争突入までの政治、経済などの知識も。高橋亀吉/森垣淑「昭和金融恐慌史」(講談社学術文庫)などで背景を知っておいたほうがよい
 作者は1897年生まれ。マサチューセッツ工科大学大学院卒の経歴を持ちながら、洋楽普及に情熱を燃やした。このころには歌劇運動や評論家活動をしていたのかな。年代からすると、西洋文化とのカルチュラルショックを受けた2代目にあたるけど、文章や書物経由で知識を得たとか、西洋の自我問題を自分のものにするとかそういうことはなかったみたい。単に技術と美だけを受容することと啓蒙することに専心できた人。もちろん書かれた時代のためにその種の内面を書かなかったのかもしれないが、あらえびす氏同様に、浄瑠璃常磐津の名人もすごいがハイフェッツシャリアピンもすごいとひざをたたけた明治の洒脱な人なのかな。葛藤がない(なぜこの国の人は洋楽を楽しめないのか云々という設問は全然出てこない)ので、読書の楽しみはあまりなかった。でも、彼の聞き書きなどをあわせて歴史の第一級文書。