odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

岡村昭彦「南ヴェトナム戦争従軍記」(岩波新書) 戦争当事国がメディア管理をしていない時代にフリーライターが潜入ルポした。現代戦争のリアルを伝える。

 1962-64にかけての南ヴェトナムの従軍記。1960年にベトナム解放戦線が作られ、ゲリラ戦が始まる。ゴ・ディン・ジエム大統領は直ちに対抗。この政府をアメリカが支援し、軍事顧問を派遣する。ゴ・ディン・ジエム大統領が独身のカソリック教徒で、極めて質素な生活をする一方、親族を高官にし、とくに弟の妻が呵責な弾圧を仏教徒とゲリラに行ったことで民衆の憎悪を買った。ここらへんの状況は開高健「渚から来るもの」に反映しているので、両方合わせて読むとよいだろう(と絶版・品切れの本を紹介してしまう)。あまりに民衆の憎悪が高かったので、1963年に暗殺。翌年にはクーデターで軍事政権が樹立。ベトナムからは難民が出たことなどその他の理由で、隣接するラオスカンボジアとの関係が悪化する。こちらの国でも共産主義の解放戦線ができて、政府軍を苦しめることになる。詳細な年表はwikiなどで補完してください。
ベトナム戦争 - Wikipedia

 ベトナム戦争がそれ以前の戦争と異なるところがあるのは、戦場の模様が映像でほぼ瞬時で伝えられたこと。そして、その映像が人々の関心をひくようになったこと。それが可能になったのは、著者のような報道担当者が社費ないし自費で現地に行き、危険を冒して戦場と都市を訪れたことにある。それによって、政府や軍が隠しておきたいことが明るみになって、社会に大きな動揺を及ぼすことになった。当時を思い出せば、7時のニュースでジャングルへの爆撃やナパーム弾による火災、都市の暴動と鎮圧、娼婦と麻薬などの映像が流れていたのだった。暴力があからさまになっていた。(その反省があったためか、1990年の湾岸戦争以降、厳重なメディア管理が行われるようになった)
 さて、著者は新聞記者としていったのだけれど、実際のところは限りなくフリー。それ以前には、被差別部落の取材をしているし、ベトナムでも政府軍や警察によるデモ規制やスパイ容疑の逮捕に抗議し、ときには戦場の拷問に体を張って阻止しようとする。立ち位置はおのずと明らか。一貫して弱いものの立場にあるわけだ。そのために南ベトナム政府の公安が注目することになり、ときに逮捕を逃れるためにタイに逃げ、ほとぼりがさめると再び侵入。どうやら1970年以降は入国を拒否されたらしい。
 また韓国にいって、戦争(朝鮮戦争)から10年たって社会インフラが整わず、セイフティネットもない軍事政権下の状況を調べもする。1960年代初頭はソ連の援助のために北朝鮮のほうが経済発展していたのだった。そのような貧しい暮らしの韓国で、日本の漁業者が韓国の経済水域を無断侵犯して、密漁するのを目撃し、記事にする。当時、韓国はほぼ鎖国政策をとっていたし、当然この国の利権者は上記の行為を黙認していたので、記事になることは少なったはず。むしろ李ラインを越えて拿捕された日本の漁船に同情的な記事が多かったのではなかったかな。このような状況があったことを思い出しておいてよい。
 あとは、文体に注目。「僕」「私」という徹底的に一人称で見たことと聞いたことだけが書かれ、ほとんど彼の思想や意見は書かれない(逮捕に激怒するとか、死者の前で呆然とするなど感情は書かれる)。形容詞や副詞のない乾いた、しかも若々しい文体が、むしろ当時の空気感を醸し出してくる。ベトナム戦争初期のこの国の記者の記録として貴重。当時、ベストセラーになった。
 著者がベトナムいたころと同時期に開高健ベトナムを取材していて、大統領暗殺やクーデターに遭遇している。なので、小説家の仕事もあわせて読んでおきたい。