odd_hatchの読書ノート

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阿波根昌鴻「命こそ宝」(岩波新書)

 前著「米軍と農民」は1973年で記述が終わっている。こちらは1973年から1992年までの記録。
 大きな変化は1973年の沖縄「本土復帰」(本土からみた「沖縄返還」というのはどうも実情を正しく反映しているとは思えないなあ。では本土復帰がよいかというとこれもすわり心地が悪い)。これにより、反戦地主の交渉先は沖縄県とこの国の政府に代わる。当初は、「復帰」と同時に基地の土地は地主に戻される約束があったが、それが反故にされ、しかもこの国の政府は公用地法を作って土地収用を継続することにした。そして露骨な地主の切り崩し工作が行われる。すなわち、この法律に基づいて土地収用の契約をすることによって莫大な土地代を支払い、税金の優遇政策をとり、なおかつ周辺事業の補助金をだすことを約束する。地主個々人に対して切り崩し工作を行い、「土地を守る会」を内側から破壊する。さらには、「土地確保地籍法」なる法律で20年間の強制収容を容認させた。米軍は情理を尽くした説得をすれば、自らを恥じ入り、約束したことは守るようであるが、この国の政府にはそのような合理的・論理的な理屈では動かない。むしろより陰湿な<システム>が働いているように思える。
 というのが、1992年までの状況。この先の動きはフォローしていないので、伊江島基地問題については語ることがない。
 ただ、1955年から1992年までの沖縄の基地では、死者がでるまでの状況が続き、基地周辺では爆音による環境破壊が行われ、米軍兵士が周辺住民に暴力を働くこともあり、警察による監視活動が日常的に行われ、切り崩し工作が家族の一体感を失わせ、基地及び周辺事業以外の産業が衰退して働く場所が限られて、などという状態が継続してきた。残念なことに(自分の情報感度の低いことを反省することにもなるが)、この種の報道は大きく扱われることはなかった。たぶん、1992年以降にも大きな改善がなされたとは思えず(この本には1991年の湾岸戦争直前に伊江島の演習が盛んになったことに著者たちが気づき、戦争が近いと感じたという。同じことは2002年にもあったのではないか)、結局のところ、基地問題は継続しているのだった。そのとき、この本および前著「米軍と農民」に書かれた過去50年の体験がこの国の人々で共有されていなくて、沖縄の人々と理解の深さが異なることも問題を複雑にしていると思う。自分には対案はないのだが、沖縄の人々が米軍基地の拡大や使用延長に反対するのは道理がある。基地を継続使用ないし拡大することを「理解」してくれというのは虫がよいお願いであるだろうし、それを「理解」してもらう論理を沖縄の人々に提示するのはすごく難しいだろう。
 さて、あとの注目点はふたつ。「米軍と農民」にかかれた「陳情規定」「軍会談にあたっての態度と心構え」に代表される運動の、ないし人とのコミュニケーションの原理の重要さについて。原文にあたることを希望するので、ここでは繰り返さない。追記しておくとこの運動は住民が主導するもので、政党や組合はほとんど関与していない。
 もうひとつは、彼の収集癖について。1970年に構想し、1984年に実現した反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」にはおびただしい15年戦争と基地反対運動の記録が残っている。薬莢に模擬爆弾、それらを加工した鍋など日用雑貨、戦中の軍服に、米軍の捨てた砂袋で作った服に、米軍のたてた看板、有刺鉄線、コンクリートの柱などなど。その雑多な数は計り知れないのだが、これはほぼ独力で著者が集めたものという。雑多な、個々には意味のないものもある数と量を超えると新しい意味を見出すという実例。この人は戦争と反戦運動博物学者でもあったのだな。実にユニークな博物館になった。