odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

グレアム・グリーン「第三の男」(ハヤカワ文庫)

 「作家のロロ・マーティンズは、友人のハリー・ライムに招かれて、第二次大戦終結直後のウィーンにやってきた。だが、彼が到着したその日に、ハリーの葬儀が行なわれていた。交通事故で死亡したというのだ。ハリーは悪辣な闇商人で、警察が追っていたという話も聞かされた。納得のいかないマーティンズは、独自に調査を開始するが、やがて驚くべき事実が浮かび上がる。20世紀文学の巨匠が人間の暗部を描く名作映画の原作。」
第三の男 | 種類,ハヤカワepi文庫 | ハヤカワ・オンライン


 映画の筋を覚えるのは苦手と思っていたが、そのとおりだった。映像の美しさにみとれて、いろんなことがわかっていなかった。そのことを思い知らされた。
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 さて、大状況は1947年のウィーンで、当時は米ソ英仏の共同管理。ウィーンは4分割されて、地区をまたぐときには許可証が必要だった。最初は、協力的だったロシアがそのうち管理地区を封鎖し、その他の地区の警察に協力的でなくなっていく。それはのちの鉄のカーテン演説や東欧諸国の共産党政権樹立の策謀などに発展していく。うなってしまうのは、この4カ国管理が登場人物たちに投影されていることで、マーティンスアメリカ(小説では英国)で、キャロウェイ大佐はイギリス、アンナはチェコ人(小説だとハンガリー人)。それぞれのいる場所を象徴しているような存在。アメリカの野蛮さと傍若無人さ、イギリスの貴族性と規律、ハンガリ(というか東欧)のソ連の脅威への怯えなどなど。
 この状況下で起こるのはウィーンの希釈ペニシリンの闇販売の摘発。小説だとなぜ、何が問題かがはっきり書かれているので問題がはっきりする。映画の病棟シーン(キャロウェイがマーティンスをオトリにすることを承認させるため)で、マーティンズが何に衝撃を受けたのかよくわからなかったのだが、重篤な脳障害がおこることがあったわけだ。こういう悲惨な現実は文章でないと表現できない。原作だとマーティンスがウィーンに来たのはハリーの招待だったが、映画だと何かの慈善団体の招待になっている。途中でマーティンスが作家協会みたいなものに強引にホテルに拘引され、講演会を開くという愉快なシーンがあるのだが、原作の方がストーリーにうまく溶け込んでいると思った(ハリーに要請された偽名がイギリスの高名な作家と同じだったので、ホテルに居合わせた現地の人が勘違い)。映画ではハリーが登場するのは110分の映画の65分目あたり。原作だとさらに遅く190ページの140ページ目。小説では顔が浮かび上がったところでカットされたが、映画では追いかけをはさんで地下下水道につながる広告塔を紹介する。カフェ・モーツァルトでの待ち伏せ、地下下水道の大捕り物は小説だと10ページにも満たないが、映画では20分もかけている。こんな具合に、ある情景を描写するとき、文章で可能なことと映像で効果的なことの差異がよくわかる。小説版はグリーン全集でないと入手しにくい状況が続いていたから、多くの人は映画を見てから小説を読むと思う。そのときに、リード監督とグリーンがどこをどのように変えたかに注目しておこう。
(あと、アンナは一度ソ連警察の手入れを受ける。たまたまキャロウェイが現場にいて、他国の警察官もいたのでアンナは逮捕されずに済む。手入れは自分の密告のせいだと、例の観覧車の中でハリーは告白した。それはおいておくとして、闇ペニシリンの被害はソ連側にも出ていて、かの国の警察もハリーを有力容疑者としていたのだ、ハリーを追いかけるのは連合国+オーストリア警察の組とソ連警察で、たがいに相手を出し抜きたかったのだ、というのが推測できる。)
 小状況はマーチンスの淡い恋心。映画だとアンナ役アリダ・ヴァリのうるんだ瞳が印象的で、その目をみているだけで彼女も恋をしているのではないかと思わせた。でも小説版を読むと、アンナは最初から最後までマーチンスへの気持ちなどなかったことが分かる(ハリー・ライムの関係者が殺された後、アンナの家に押し掛けるのは厳冬2月の深夜午前3時だぜ。しかも酒に酔っ払っている。迷惑以外のなにものでもない)。だから、映画とは逆にアンナはマーチンスの腕をとるのだが、小説版では違和感が大きい(映画だと逆にアンナがマーチンスを無視するのがショックになる)。
 このシノプシスを監督と原作者が共同で脚色した映画のほうが素晴らしい。たとえば、冒頭ウィーンに着いたばかりのマーチンスは梯子の下を通り抜けるのだが、これはのちの災厄を暗示している(というのをどっかで読んだ)。
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 主役の4人(マーチンス、アンナ、ハリー、キャロウェイ)が別の役者に考えられないほどの適役(あまりにはまっているので、ジョゼフ・コットンが別の映画に出てくると、いつも酔っ払っているように見えて、ストーリーに身が入らない(東宝特撮「緯度0大作戦」、ヒッチコック「疑惑の影」)。それから斜めの構図が印象的で、影が効果的なカメラ(深夜の野外シーンには石畳に水をまいて光を反射させていたのだって)。アントン・カラスのこれまた素晴らしい即興演奏。地下水道内のどこから聞こえるのかわからない音の撮り方。1949年にこれだけの映画があることに驚き。

  
 あとリードとグリーンのコンビで「落ちた偶像」(1948年)がある。パブリックドメインで安く手に入るので、見ておこう。