odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ジョルジュ・シムノン「雪は汚れていた」(ハヤカワ文庫) 存在の退屈を持て余した若者が逮捕監禁されたときに生の意味を見出す。

 大状況が全く書かれていないので、断片的な情報から推測するしかない。フランク・フリードマイヤーが16歳の時に町は占領され、今では19歳というから1942年なのだろう。登場人物の名前はゲルマン風だ。しかし、この「本格ロマン」がフランス語で書かれているところからすると、たぶんフランス北部かベルギー(作者はベルギー人)。発表が1948年なので、占領軍はドイツであるのかもしれない。これは推測であるので、この世界のどこでもないどこかであるかもしれないし、似たような場所、例えば朝鮮半島とか南米であるかもしれない。主題は事実にあるのではないので、どうでもいい。

 フランクは運命を呪っていた。占領軍が町に来てから、どうやら学校は機能を停止したようで、彼はいわゆる<不良>の暮らしをしている。母親が娼館を経営しているので、新入りとベッドをともにしているし(なにしろ彼女らは20歳前なのに、客は占領軍の将校や町のえらいさんばかりなのだ)、ときにはスカウトのようなこともする。パブに入り浸って酒をのみ、友人たちと遊びふける。もちろん占領軍と町の警察は住民監視に厳しいので、その眼をかいくぐるのも彼らの得意とするところ。そして深夜に占領軍の将校を殺してピストルを奪い、友人にそそのかされて老婆から時計を奪う(そのときに顔を見られたために老婆を殺した。ここらへんドスト氏「罪と罰」を意識しているような設定)。代わりに大金とグリーンカード(占領軍の発行している戒厳令でもフリーパス可能な通行券)を入手する。

 以上の前半は、まあよくある不良少年の青春ものと酷似。戦争で混乱しているとか教育組織が機能していないので、少年に権威的にふるまえる大人がいないから(フランクの父親は不明、のちにこの娼館にやってくる将校の一人ではないかと思う)、反社会的・非社会的な行動を繰り返し、それがとがめられないのだから、ますます危険なことに手を出していくというわけだ。そのあたりの社会学的な説明は置いておくとして、目についたのは、この少年も自分がだれか、何者かを見つけたいと希求していて、それが常に挫折しているところ。彼の周りには娼婦がいて、性行為は簡単。でもそのことに熱中しない、できない。それは性も殺人も彼の生に「意味」を与えないから。彼は町をどこにでも、どんな時間でも勝手に歩き回ることができる。彼の素行の悪さは知られているから、とがめることはできない。ほかの人にはない<自由>(占領中であって勝手にうろつけないのだ)をもっている。でもフランクにはそのような<自由>では<意味>がない。
 高熱を発して床に臥せっていた後、突然彼は占領軍に逮捕される。なぜ逮捕されたか。18日間の勾留中、一度も尋問されないのでフランクは逮捕の理由がわからない。そして将校や主任の訊問が始まったあと、逮捕理由は時計の強奪のときにもらった紙幣が占領軍の主計部から盗難されたものであること、それを所持している理由を問われていることと知れる。ここから、フランクの意識は一変。彼は訊問に徹底的に抵抗する。身体的な暴力にも、巧妙な訊問にも屈しない。紙幣の出所は彼が嫌っていたが腐れ縁の友人であるのだが、そのことをフランクは自白しないことを決める。その理由は、友人の保護でもないし、なにかの抵抗組織(どうやら娼館では情報交換が行われていたらしい)との機密保持でもない。たんに将校や主任に抵抗すること、それが目的である。というわけで、彼の身体は拘置所に閉じ込められ、満足な食事もなく、風呂にも入れず、着替えもなく、不定期な尋問で睡眠不足という不自由極まりないところにあるのだが、彼の生はこれまでにないほどに充実してきた。それは彼の求めている生の<意味>が到来したから。他人から見れば奇妙な<意味>だ。まあ、生の<意味>には一般的な解はないし、普遍化することなどできないがね。それに逮捕され訊問されとき拷問されることによって、態度のあいまいだったデモの参加者が、宗教の門徒が、熱烈な抵抗者となり、徹底的に戦い抜き、ときに殉教していた例にいとまはない。もちろんフランクの生の<意味>はもっと個人的なところにあって、思想や宗教あるいは組織愛のような観念に倒錯しているわけではない。
 となるとその答えは、彼の家庭に見たくもなる。父親不在、母の仕事に対するコンプレックス、性への不感症などなど。それに彼の決意がますます高まるのは、隣室の父娘への奇妙な関心であり、その娘(処女であるところにフランクは誘惑し凌辱している)から「愛している」と告白されたときだったというのは、それを裏書きするかもしれない。まあ、俺はその説はとりたくない。なぜフランクをとらえたのか、全く理由ないまま、フランクに<意味>が到来し、その<意味>の輝かしさゆえにフランクは喜びをもって拘置所で生きている。
 後半のシチュエーションはサルトル「壁」フチーク「絞首台からのレポート」(青木文庫)、プイグ「蜘蛛女のキッス」(集英社文庫)に酷似しているとはいえ、全然別物。

 前半は感情移入しにくくて読むのが面倒だったが、逮捕-勾留後の描写に驚愕。シムノン、やるじゃん!グレアム・グリーンばりの戦後文学じゃないか!と興奮してました。品切れ、絶版が惜しい。とはいえ、読む人を相当に限定するとは思う。

  

<参考エントリー>
2017/02/23 ヴェルコール「海の沈黙・星への歩み」(岩波文庫) 1942年