ロバート・キャパ「ちょっとピンボケ」 ・・・ 略
レナ・ジルベルマン「百人のいとし子」 ・・・ フランケル「夜と霧」(みすず書房)はナチスの絶命収容所でいかに生き延びるかが主題であったが、こちらは収容所から解放されたものをいかに復帰させるかというこれもまた非常に困難な体験を主題にする。著者はポーランドの小学校教師として勤務していたが、ナチス併合によって夫と子供を失う。首都から脱出して田舎で家庭教師兼乳母として過ごす。なぜそのようにするかというと彼女はユダヤ人であったから。彼女のようにポーランド人の中に姿を隠して生き延びるものの多くいたのだった(そういうドイツ映画をみたことがある。映画は舞台がベルリンである分、緊迫感が非情なのだ)。さて、ソ連軍によって解放されたポーランド。今度は別の問題に直面する。ひとつは新政権を樹立するための努力であり、もうひとつは収容所から解放されたユダヤ人および隠れていたユダヤ人の処遇について。ここであきらかになるのは、ナチスが壊滅したからといってユダヤ人差別はなくなったわけではなく、人びとの差別意識はあるし、彼らの復興のために資金援助するものもいない。おかげで、収容所を出た人々は町の荒れたビルの地下室に押し込められ、死に直面している。そこにおいて著者は子供たちを救うことを決心する。もちろん亡くした子供の投影もあるだろうが、行為の動機はそんな説明では不十分。ユダヤ人関係の役所に行き、充分な予算を持たないところから金を引っ張ったり、ユダヤ人の闇業界とひょんなつてをもって資金援助をしてもらったり。そして百人の孤児をひきつれて田舎の保養地に学校を作るのだった(この本には書かれていないが、イスラエル建国ののち、シオニストである著者たちのグループはイスラエルに移民したのだった)。愕然とするのは、「夜と霧」と同様の体験が子供たちにも向けられ収容所にいたものにも、田舎の農家に引き取られて強制労働を課された(コジンスキー「異端の鳥」角川文庫)ものにも、修道院に逃れたものにも、いやおうないトラウマと自己棄損の経験をもっていること。親兄弟に死なれ一人ぼっちで暮らしたために愛とか友情とか協力とか共同体生活の方法が身についていないこと、大人や制服に対して激しい嫌悪と恐怖を持っていること、ほぼ無学文盲であること。そして非ユダヤ人であるポーランド人は彼らへの差別意識を捨てていないで、むしろドイツの圧政のないぶん、より露骨に発揮されたこと。このような陰鬱な記録を読みながらも、心のどこかがほっとするのは著者の無償の行動と倫理にほかならない。ところで、同じ事情はたとえばこの国の戦後でもこの国の国籍を持っていないものや災害被害者に訪れたと思うのだが、それについて自分が無知であることに恥じないとならないだろうなあ。
マリ・エレーヌ・カミユ「革命下のハバナ」 ・・・ 1958年に結婚したフランス人ジャーナリストはキューバを新婚旅行先に決める。キューバの状況はというと、アメリカ資本が経営する植民地経済政策のもとにあり、主な産業は砂糖と葉巻、そしてアメリカの大富豪を目当てにしたギャンブル。機内にカジノを設けた飛行機が毎日マイアミからハバナに飛んでいた。社会格差はひどいもの。政権は2度目のクーデターに成功したバティスタ。年末にフィデルが進軍すると言ううわさが起きると、翌年元旦にバティスタは家族を連れて亡命した。たちまち起こる略奪と騒乱。市内のフィデル派が警察の代わりを務める。それからおよそ2週間の「革命」の日々。これをフランス人が記録した。
まあドキュメンタリーとしてみると、「世界をゆるがした10日間」「中国の赤い星」に比較できないほど劣る革命の記録なのだが、それでも我々の知らない世界の記録であることは重要。バティスタの悪口を言うと、本人自身はどうやら政治的な考えなどないに等しいらしく、家族親類縁者に便宜を図るくらいのことしかしなかったとみえる。彼らの亡命は国の金をいっさいがっさい持ち出すことで、フィデルの困難は金のないこと、さっそく起こるインフレに対応することか。それに追い討ちをかけるかのようにアメリカの砂糖輸入禁止令。外貨を獲得できないキューバとしては、革命時に標榜しなかった「共産主義」の旗を掲げソ連の援助に頼ることになる。それがフィデルとゲバラの本意であるかどうかは、この本からはわからない。で、1962年のキューバ危機になり、長い鎖国を続けるキューバの始まりなのである。
NHKの作った「社会主義の20世紀」という番組(1990年放送)でキューバが取り上げられ、フィデルがハバナの国会の建物で建国宣言をした映像をみたことがある。キューバの人びとは当然のようにマンボやサルサを歌い、踊ったのだった。ここら辺はロシアや中国とは違うなあ、と変な感心をしたことを思い出した。
「ちょっとピンボケ」を除いては全部今は読めないのか。ちょっと残念な気がする。