odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

沼田多稼蔵「日露陸戦新史」(岩波新書) 無味乾燥で欠陥だらけの巨大プロジェクトの報告書

 そう簡単には入手できない一冊。自分の手元にあるのは昭和15年初版のもの。新規開店した古本屋にいったらこれが300円で売られていた。1990年ころの話。数年を経ずしてつぶれてしまった。

 内容を例によってまとめてみるが、今回は超訳をところどころで採用。
昭和15年、企画院総裁・星野直樹は考えた。「このごろの若いヘータイは日露戦争で陸軍が大活躍したことを知らないんだよね。でもヘータイに読ませたいいい本がないんだよ。そしたらこの沼田っていう参謀本部の連中が書いたのがいいって言うから、読んだらこれだっときたね。大正12年に書かれたものだけど。紀元2600年を記念して出版するから、ちゃんと読んでね。そこんとこよろしく!」

・というわけで、1940年に日露戦争の陸軍の活躍を書いた本を出版した。35年前の組織の成功体験を新人ヘータイに共有させるために、18年前に書かれた本を再販したというわけ。これって、新入社員教育の手法としてありなのかねえ。2012年に即して言うと、「1972年のオイルショックは我が社の最大の危機であったが、社員の懸命の努力とアメリカの計らいによって倒産の危機をのりきったのである」という昔話を1990年に社史にまとめたものをひっぱりだして、1992年生まれの今年入社の新人に読ませるようなものなんだから。

 で、日露戦争の陸海戦は司馬遼太郎の「坂の上の雲」でよく知っていると思うが、いくつかの記述では齟齬がある。そこらへんにフォーカスしていくつか。

・個人名の記述が極めて少ない。出てくるのは山県有朋大山巌児玉源太郎奥保鞏くらい。乃木も黒木もなし。秋山好古は一回登場。ロシアのほうはクロパトキン、レネウィッツ、くらい。当時存命とはいえ、配慮しすぎだと思う。このようなプロジェクトの成果を検証するのであれば、責任者たち幹部の判断も含めた分析が必要でしょう。ところが、記述者自身が栄達とか出世とか上司のことを慮って、評価を下すことができない。なにしろ、作戦とか戦闘行為が成功であるのか失敗であるのか、なぜその作戦計画を採用したのか、そういう評価は一切書かれていない。

・それは記述の仕方にもあって、ここには戦略も戦術もかかれていない。遼陽とか沙河とか黒溝台とか奉天とか、あるいは旅順のような大攻防戦や長期間の戦闘があっても、書かれているのは師団とか旅団レベルでの動きだけ。そこには一切の意味づけがない。同時に、敵方の動きもかかれていない。その会戦において敵にはどのような師団とか旅団がある、どういう動きをしたか、その意図はなんだったのか、敵の戦術はどのようなものであったのか、何もない。さらには、敵国の政情も経済もなし。なぜかの国は満州から韓国を狙っていたのか、どのような政治配慮があったのか、外交ではどのように味方をつくっていたのか、これらもなし。

・少し感情が書かれているのは、海軍に対して。
「あのさー、うちら(陸軍)はもっと大連に近いところに揚陸したいんだけど、制海権ないじゃない? 被害こうむるのこっちなんよ」
「最大限がんばっているけど、陸軍さんのことまで面倒見れないんで。」
「ウラジオ艦隊がうちらの輸送船を攻撃したぞ、どうしてくれる」
「濃霧で見つからなかったの、ごめんね。それにこっちは旅順艦隊につきっきりで余裕ないんだよね」
「どないせいちゅうんじゃ」
「うちらの戦力だと旅順にこもっている艦隊をつぶせないの。だからサー、陸から攻撃して沈めてくんない」
「そんなこと準備しとらんぜ」
「だって、バルチック艦隊が来るまで、うちらの船、沈めるわけにいかないもん。陸上用の砲撃隊をだすからさー、やってくんないかなー」
「(この身勝手ヤロー)」。
おもわず超訳してしまった。これって、「坂の上の雲」とちゃうでしょ。でも、ここにはこんな風に書かれているのよ。
(追記 2021/12/9 加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(朝日出版社新潮文庫)によると、旅順攻防戦で陸軍と海軍が協力したのはそれまでの戦争にはない画期的なできごとで、欧米列強は驚愕したとのこと。)

・途中には砲弾の稀少なるを危惧するために、増産に励んだという記述がある。海軍の製造能力に余裕があるから借りたりもしたのだってさ。あと、8月にはドイツのクルップ社に発注した(遼陽会戦のあと)。まあ、間に合うはずもなく、間に合っても砲弾と兵士を消耗する旅順作戦で消耗されて沙河とか黒溝台の会戦には足りなかったのではないかな。こういう反省があっても、その35年後には同じことを繰り返しているんだよ。

・「坂の上の雲」には詳述されていないが、4月から数ヶ月間満州は雨季になり、道と畑は泥濘と化す。そのために、車輪を使った輸送は困難を極める。地面の凍結した冬季のほうが、輸送に便利。ということで、大規模な会戦(沙河、黒溝台、奉天)は秋から冬にかけて行われた。奉天会戦(3月初旬)のあと、和睦(古い言葉で失礼)の成立する8月まで、大規模戦闘はなかった。それぞれの軍の消耗が激しく、時間稼ぎのためかと思っていたけど、地面のぬかるみという事情もあったのだね。大師団を動かすに動かせない自然状況があったのだ。だから秋山支隊などの騎馬隊が斥侯に出たときの遭遇戦くらいしかなかったというわけか。なるほど。

・「当時国民一般は連戦連勝を謳歌し、士気極めて旺盛なるも、我が国力特に戦闘力の真相に関しては知るもの甚だ少なし(194ページ)」と記述がある。といいながらも、同じ事態をまさに出版当時に繰り返していたわけだ。なんというブーメラン。


 というわけで、組織の巨大プロジェクトの報告書としては欠陥だらけ。まず、状況分析がない、行動の評価がない、ロジスティックに対する配慮なし、陸海軍の当時者間のコミュニケーション不良にたいする原因分析と改善提案なし、戦術の評価と改善提案なし(なんど白襷隊の特攻を繰り返したのだ、それによる損耗を考慮しないというのはリソース管理ができていないということ。しかも遼陽会戦で黒木軍の行った夜間の軍隊移動と翌朝の側面攻撃と、203高地の夜間襲撃は成功事例として、陸軍の戦術の規範になる。圧倒的な火力と人員を前にたいてい敗北した)、ビジョンとミッションの不明確、競合の分析なし、市場の分析なし。全面的に書き直して再提出。そうしないと、この組織はつぶれるよ(ってつぶれたのだが)。途中で読むのを止めた。

 アマゾンの商品をみてびっくり。ほかの出版社から復刻されているそうな。