odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

都筑道夫「南部殺し唄」(光文社文庫) コーコシリーズ5。依頼とはいえ他人の家族に踏み込むコーコはハードボイルドの探偵になってしまう。

 滝沢紅子シリーズの長編5つめになるのかな。1990年初出。

 前作「前後不覚殺人事件」はコーコが不在だった理由はいずれ語るという幕切れだったが、その理由を説明する長編。普段の多摩由良町を離れ、お春と一緒に東北・遠野にでかける。父が気にしている事件の加害者が出所したので、様子を見てきてほしいという。不倫をしていた妻が夫に子供に舅や姑を惨殺したという陰惨な事件。加害者・加寿子は自供したので事件はそのまま結審したが、父にはどうもホンボシではなかったという勘が働いたのだった。実家は盛岡にある古本屋。妹の嫁ぎ先は近くの老舗の和菓子店。この蔵には座敷童がでるという話があり、それを見に行った。妹の娘・美鈴と加寿子がみているのだった。さて、案内の最中、蔵の中で加寿子が刺されて死んでいるのが見つかる。蔵なので出入り口はひとつだけ、中にはほかの出口はない。さて、密室殺人事件! 発見者はコーコと同行のお春。さてお春の知り合いの大学助教授(当時の呼称)の援助を受けて、調査にはいる。しかも、空想癖のある小学6年生の美少女・美鈴が失踪し、古本屋の店内で見つかった。警察からは第1級容疑者、しかし証拠と動機がないので召喚できないという危険な状況。さて、コーコどうする?
 文章の技巧的な味わいはほとんどなくなっていて、水のように透明なものになっている。漢字が少なくなって、かなが多くなったからそう思うのなか。もともと紅子シリーズは宇野ナントカのポルノ小説の文体(「あたし、なんとかしちゃったんです」)でミステリーを書こうとしたものなので、文章の平明さというのは狙ったものであるだろう。さすがに長い文章歴を持っている人であるので、わずかな文章で人物を描くことができ、キャラがしっかりとたっている。紅子と春江のふたりの実在感ときたら、すごいところがある。とはいうものの、この二人から離れた人物になっていくとその存在感は失われていき、どういう人物であるのかほとんど記憶に残らない。老舗の旦那とか少女とか妻というような記号としてしか認識できなくなっていく。そのかわり老人の描写がうまくなってきた。
 この小説になると、コーコはほとんどハードボイルドの探偵。依頼とはいえ他人の家族に踏み込むことになり、隠していたい過去の問題を暴露し、現在の平和を破壊することになる。家族の問題にコーコたちは極めて同情的。さらに、自分らが事件に介入したことが、二番目の事件を誘発したのではないかという負い目ももっている。これは辛い。なので、この小説では関係者を集めて「さて、みなさん、犯人はこの中にいます」と大見得をきる(おっと、センセーがいうのは「見得をする」が正しい用法ですって)ことはない。ひっそりこっそりと犯人と対峙することになる。解決はとても苦い。
 素人探偵がうかつに事件に飛び込むことの危険さはここらへんか。事件の真実の暴露が必ずしも家族やコミュニティの調和や平和になるものではなく、それを破壊することになるから。その債務を追えるようなキャラクターではなかったのだろう。なので、コーコシリーズはおしまい。市井の事件で家族の問題を見守ることは、ホテル・ディックと私立探偵の西連寺剛が担うことになる。職業探偵であれば、冷たい感情と冷静な視線を持つことができるからねえ。