江戸の昔に、村尾平四郎という粋でいなせで涼やかで、女には弱いが剣には強く、義理と人情を重んじる若い浪人がいたと思いなせえ。一夜の酒と寝場所をくれるってんで、商人の離れ屋敷を警護することになったんだが、驚いたねえ、どでかい蝶の格好をした凧が舞い降りてきて、そこには絶世の美少年が乗っていたっていうじゃねえか。しかも大泥棒もやってきて、「貴様、隙がねえ」とかいっていきなり兄弟分になろうっていう。朝になると、また驚いたことに男の死体がある。すわ一大事ってんで番屋にかけこませたんだが、兵四郎は違うねえ、死体が手にしていた迷子札をそっと袖にいれたんだね。長屋にけえると、また一大事だ。平四郎に雇い仕事を斡旋した浪人が腹を切っているし、屋根裏じゃあ尼さんが縛られてるってもんだ。この尼さん、別嬪なうえに裸だった。しかも名前も生まれもわからねえ。いったい何が起きてんだ。
どうもべらんめえ調だと、話がまどろっこしくていけねえ。普段に戻る。で、死んだ男の死体は盗まれ、平四郎は尼さんの集団に囲まれて白昼夢のごとき幻想を見る。すると、平四郎を見込んだ商人は、実は千万両の宝が隠されているので、それを見つけてほしいという。半信半疑ではあったが、黒装束の一団に何度の付け狙われるし、むささび小僧という稀代の大泥棒が彼の行く先を先回りしているとあっては、監視されているのは疑う余地もない。平四郎の助けになるのは、聖天下(しょうでんした)の常吉親分に、清元師匠の津多秀、それに大酒のみで大小を質に入れたために竹光を腰に差す左文字小弥太だ。常吉は背が高ければ相撲取りになったかもしれなかった岡っ引きで、津多秀は江戸の小股の切れ上がった多情な女で、小弥太は酒があればすらっと剣を抜けるニヒルな貧乏旗本だ。ここらへんはもう伝奇小説、というか昭和30年代までの時代劇にでてくるあれやこれやを思い出せばよい。
何度か危機を乗り越えた後に、商人は平四郎に不気味なろうそくを渡し、自分が死んだらこれに火をともせと言い残す。そこで、平四郎と津多秀、小弥太はうらぶれた離れ屋敷で火をともすと、幻覚が現れ、どうやら300年ほど前に城を落とされた疾姫および狭霧の一族と彼らを狙う鷲津の一族の争いの果てに、財宝が行方知れずになったということがわかる。ここで過去と現在が交差し、平四郎はたんにお家争いに巻き込まれただけではなく、世界の命運を分ける争いの重要人物になったことを知る。
ここら辺まででだいたい半分くらい。財宝のありかを知るには迷子札6枚を集め、しかも尼さんの背に浮かぶ刺青(しかし彼女らが法悦境に上りつかない限り見えないという仕掛け)を見なければならない。迷子札を狙うのは3つくらいの集団であり、手元には置いておけない。というわけでそう簡単には入れない吉原に初心な平四郎が入ることになる。一方、麻布・赤坂・六本木は江戸の場末もいいところで津多秀のような浅草・蔵前の賑わいどころの町人は行きたがらないところであって、そこには不気味な寺社があるとか、ここらの描写は詳しい。
財宝の行方を追うために江戸を離れて、信州にむかうことになるのだが、そこはこの世とあの世との幽明境である。
もうよそう。この先は、読むしかない。1ページを繰るごとに事件が起こり、敵と味方はしかとわからず、頼みは自分の剣の腕と振り絞る知恵のみ。敵の幻術と剣術にいつ自分が負けるか、はっきりしない。にもかかわらず、平四郎は旅をとめることはできないのであって、それは一目ぼれした信がつねにまぶたの裏に現れるからであり、時として臥所で行われる男女の行為もついには平四郎が英雄となるための階梯に他ならない。そうした風来坊が生きがいを発見したのちに彼を迎えるのは、世界の行方を決める大決戦だ。多勢に無勢な平四郎はほぼ徒手空拳のままいかに立ち向かうか。
この世に残されたべらぼう村正の持ち主・左文字小弥太は「女泣川」シリーズで今度は主役を張ることになる(こちらのニヒルな剣鬼であった男が、情に厚い熱血漢を演じるのだ)。同じ時期に今度はSF趣向を借りた伝奇・冒険小説「翔び去りしものの伝説」がある。これらの諸作も要チェック。
たしかにこれは、伝奇小説の轍を踏んだものであるのだが、物語の推進力と趣向の数々は現代的で新しい。しかも映像的。2時間かける2本くらいの映画にならないものか。そうだな、昭和30年代の岡本喜八組で配役を考えるとだな・・・
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