仕事も年齢も違う男女が定期的に集まって、それぞれが怪談を披露する。それこそ「デカメロン」から「新・アラビアン・ナイト」から「奇商クラブ」まである連作短編の一つの趣向だ。さて、都筑センセーはどんな夢を見せてくれるでしょうか。
死びと花 ・・・ 死びと花は曼珠沙華で彼岸花。死者を葬ったところに好んで生える赤い花。地方回りの俳優がある田舎町で古い友人に出会う。病弱な友人は気のふれた妹のために、恋人の真似をしてくれと頼む。妹には夢遊病のような奇癖があり、それは昔の恋人を忘れられないからという。その勤めを終えた深夜と翌日に妹さんの幽霊(のごときもの)をみるし、翌日には妹ではなく奥さんだというし、友人は生きているものの霊が姿を見せるという。友人もその娘も、それを語る俳優も本当と嘘をぐちゃぐちゃにして何が起きたかわからない。西蓮寺剛が語るとこういう風になるだろう。
鏡の国のアリス ・・・ 今度は30代の編集者の話。モデルになったりもする若い女の相談をうける。同棲している相手がおかしい。双子ではないか、いや、鏡の国の住人で、自分は取りつかれている。ある雪の夜、女の部屋でのできごと。紅子シリーズのトミー(ただし横文字は使わない)が語るとこういう風になるだろう。
姫はじめ ・・・ こちらは「東京夢幻図絵」の老人による語り。御維新のときと、戦中と、最近の、3人の男の姫初めのお話。最初のは老人が売れない絵師に姫初めを画けという、次のはアパートの隣室にいる出征兵士の妻と不倫について、最後のはラブホテルでインポになった若者がふられた話。最後のは、現代(1980年代)の若者のナラティブ。
狐火の湯 ・・・ 中年の台本作家が田舎の温泉旅館で湯治中(描き下ろし本の執筆のため)。そこに若い二人の娘がきて、一人が失踪する。自分の家には代のだれかが30歳までに行方不明になる伝説があり、自分がその役を負うことになると言い残す。深夜の露天風呂に押し寄せる怪火。「最長不倒距離」で似たシチュエーションがあった気がする。
首つり御門 ・・・ 国文学の助教授が語る江戸の怪談三話。いずれも首つりを主題とする。ここは話の紹介はなしにして、江戸の文人も怪談が大好きで、怨念のこもる因縁話や怪物や妖怪のでてくるスペクタクルなものではなく、心理に光を当てたモダンなものを書いていたというのが面白い。時代小説の文体。
幽霊屋敷 ・・・ 劇画雑誌の編集者が語る幽霊屋敷の恐怖の一夜。例によって霊能者と科学者がチームを組み、バカな連中が右往左往する。普段と違うのは、霊能者たちを含めたチームの中の葛藤というか三角関係が超常現象に影響している(らしい)こと。文体はストレートな怪談のそれ。
夜明けの吸血鬼 ・・・ 親子二代に渡る(のかもしれない)因縁譚。いずれも若いがしかし妖艶な女の誘いにのって、家を音訪れる。女との官能のひと時。しかし、その後原因不明の身体不良。親子で同じ経験をし、同じような女と飼い猫を記憶している。もしかしたらあの女は・・・という話。
作家生活の初期から怪奇小説、ホラーを書いている作者。1986年初出(雑誌発表はその数年前になるだろう)の作品では、怪談の定型ともいえるモチーフを取り上げている。すなわち、怪火、妖怪、幽霊屋敷に吸血鬼。この種のゴシックロマンスや江戸の怪談にも登場するようなモチーフはこれまでほとんど取り上げてこなかったと思う。これまでは新しい趣向を追及していたところに、ここでは定型を使っても十分新しいものを作れるぞ、という意気を示したものかしら。
ストーリーはまあ、ありふれたものであるのだが(センセー失礼)、代わりになるのが、各種の文体、ナラティブの使い分けにあるのかな。上に書いたように、ほかの作品で使っている文体を怪奇小説に取り入れているのが面白い。超常現象が登場したとき、解決があいまいなまま残していると怪談になって、合理的な説明をつけると探偵小説になるのかしら。根拠のないことだけど、たぶんセンセーの作品にはこの怪談、ホラーと同じシチュエーションで合理的な説明をつけた探偵小説があるのではないかしら。たとえば「首つり御門」は砂絵シリーズのどれかにあるはず、みたいな。