odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

アルバート・E・カーン「パブロ・カザルス 喜びと悲しみ」(朝日新聞社)

 神田にカザルス・ホールと呼ばれる演奏会場ができたほど人気のあるチェロ奏者。今はどれほどの人気になっているのかしら。この人は1877年(明治だと10年になるのかな)の生まれ。1970年にも存命で、プエルト・リコに住んでいるところに(孫ほどの年齢の女性と結婚しているからすごい)、ジャーナリストが行き、生活を共にしながらインタビューして、聞き書きで彼の自伝を書いた。質問の受け答えではなくて、編集者の手が入っているから、文章で浮かび上がる人柄はなんとも温厚な人。いくつかのエピソードを読むと、きかんきがつよくて、人から命令されるのが大嫌いで、強情で頑固なところを持っているのだなあ、と思うけど、そういうところは薄められている。そちらの面はホセ・マリア・コレドール「カザルスとの対話」でどうぞ。彼の音楽と人柄については、訳者の吉田秀和が行き届いた解説を書いているので、そこはふれない。

 自分の興味は彼の人生と時代の関係かな。こういう19世紀生まれの音楽家の生涯はとても魅力的。いまのようなプロ演奏家になるためのルートはなくて、さまざまな人との関係で驚くべきことが起こるからね。小説のような魅惑的な事件が連続するのだ。
バルセロナまで徒歩で半日もかかるような田舎に生まれる。父親は教会のオルガニストも兼務しているのが音楽との関係にあるところ。あるとき、流浪の音楽集団が民謡などを演奏しているときに、パブロがチェロもどきの楽器に弾かれたのが運命の始まり(5歳くらいのときかな)。母が彼の後押しをして、バルセロナ音楽学校に入れる(10歳のとき)。教授の度肝をぬくような演奏をする。父と散策中に古本屋でバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜を見つける。11歳から町のパブだったかカフェだったか居酒屋だったかで、演奏をして有名になる。ときにはチームで国内のさまざまな都市を巡業したり。そして、校長の推薦でスペイン王室で演奏することになり、当時のイザベラ皇女と懇意になる。
・そしてブリュッセル音楽学校に行くことになるが(18歳くらい)、都市の雰囲気になじめず、学校にもあわないので、パリに住居を構える。ここからの10年が彼の極貧時代。とはいえ、彼の技量はすぐさま人気を呼び、パリを拠点に西洋各国を演奏旅行。
・ここで交友関係を結ぶ演奏家の名前がオールド・ファンには驚愕。ティボーが自分の家を開放して、そこには、カザルス、コルトー(のちのカザルストリオ)、クライスラー、イザイエ、エネスコ、バウアー、モントゥー。別の場所ではグラナドスアルベニスの名前も出てくる。ここにはでてこないが、たぶんウィーン訪問時にはヴィトゲンシュタイン家に逗留しているだろう
・1930年代スペインはあまり詳しくないが、この本によると王政が廃止され共和制になる。70代の共和主義者が大統領になるが、33年に死去。そこから各種党派や労働組合の派閥争いになり、ファシストナチスの後援を受けてフランコが軍事クーデターを開始。そこから10年間の内戦になる。詳細はオーウェル「カタロニア讃歌」などを参照。あと笠井潔「バイバイ・エンジェル」の登場人物の何人かは義勇兵でスペインに行っている。パブロは内戦前にプロオーケストラを私財を投じて設立し、労働組合と連携して安い演奏会を開いた。彼の交友関係で上記の有名演奏家が客演したり共演したり。ここは音楽家ユートピアだな。たしかセッション録音がひとつ残っていたと思うが。バルセロナでも内戦が始まり、このオケは解散、パブロは避難を余儀なくされるが、最後の練習の模様は感動的。
フランコ政権が生まれた1938年にはスペインを脱出し、ピレネー山脈を挟んだフランス側のプラドに疎開する。パブロは友人と一緒にカタロニア人と亡命者支援のボランティア活動を開始。ここでも彼の名前と交友関係がものを言ったらしい。大量の支援物資が彼に送られた。しかし、ヴィシー政権誕生、ナチスのフランス撤退直前には逮捕-射殺の計画もあったらしい。
・戦後はフランコ政権とそれを支持する国での演奏を拒否。そういう場所は世界にはなかったので(社会主義国を除くがパブロはそこには行かない)、事実上の引退。しかし彼の友人や協力者の支援で、プラドとプエルト・リコでの「カザルス音楽祭」が毎年開かれる。ここの演奏は大量に録音されている。あとの大きなイベントは、1961年のホワイトハウスコンサート(ケネディ大統領が呼んだ)と1970年の国連コンサート。
 このひとは、スペインにおいてはカタルニア人であることで、ヨーロッパにおいてはスペイン人であることで、幾重にも差別を受けている側のひとだった。そのために有無を言わさず弱い側、虐げられる側に立つことになった。それに国の組織で責任者をすることがなかった(オケや歌劇場の音楽監督をするなど)。チェロ一本で世界のどこにでも行き、仕事をすることができる自営業だったから。なので、1930年代の政治の時代で自分の立ち位置で葛藤することはなかったとみえる。まあ、精神の貴族であるし(この人は音楽が世界各国の共有言語であるというようなことを言っている。8か国語を喋れたというパブロも言葉の通じないところで演奏し、聴衆の喝采を受けたのだろう。でも、その前提にあるのは、西洋音楽を受容している聴衆がいることだし、バッハやブラームスが「偉い」音楽であるという教養主義があったということ。彼が民謡や大衆音楽の演奏家であったなら、別の扱いを受けていただろう。たぶん有無を言わさず収容所送りになっていた)、腕の良い職人であるということだ。なので国家の組織の責任者も兼ねる指揮者とは、戦争に対する態度が別物になる。なのでこのひとはフルトヴェングラーワルターらと並べることができない。ギーゼキングコルトーやエリー・ナイ、ないしメニューインやマイラ・ヘスと比較することになる。

  

 さて、自分がよく聞くカザルスの演奏は
1.バッハ「無伴奏チェロ組曲」全曲 ・・・ ピリオド様式の盛んになった現在は古めかしいスタイルなのだろうが、自分には別格。同じ曲を他の演奏家でいろいろ聞いているけど、ここに戻ってくるとほっと安心する。
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2.ベートーヴェン「大公」トリオ ・・・ ティボー、コルトーらとの名人芸に敬意を表して。ステレオでいれたヴェーグ、ホルショフスキーとのものもよい雰囲気。
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3.ブラームス弦楽六重奏曲第1番」 ・・・ アイザック・スターン/アレクサンダー・シュナイダー/ミルトン・ケイティムス/ミツロン・トーマス/パブロ・カザルス/マドリーヌ・ファーリーの1956年演奏。70歳直前というのになんと若々しく情熱的な演奏。
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4.ドヴォルザーク「チェロ協奏曲」 ・・・ 伴奏はセル指揮チェコ・フィル。セルの若い時代で亡命前で、ナチス併合前のセッション。この曲の剛毅なところを強調した演奏。チェコ・フィルのホルンの音がすばらしい。
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5.バッハ「ブランデンブルグ協奏曲」 ・・・ 彼の指揮したものだともっとよいのがありそうだけど、これくらいしか聞いていないので。オールドスタイルだけど、温かみがあるなあ。
 このあたりのカザルス演奏を聴いて興味をもつようだったら、探してみてください。