odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

エリーザベト・フルトヴェングラー「回想のフルトヴェングラー」(白水社) 人当たりのよい常識人で家庭人であった再婚相手の証言。

 フルトヴェングラーの2度目の奥さんであるエリーザベトが書いた記録(1979年刊)。ヴィルヘルムは1886年生まれ、エリーザベトは25歳年下の1911年生まれ(と思う)。1943年に結婚(ともに再婚)。

作曲家 ・・・ 自分は作曲家であると自己規定していたが、指揮者活動で時間をとれず、若い時と晩年の10年に作品は集中する。3つの交響曲、ピアノ協奏曲、2つのヴァイオリンソナタくらいが有名。コリン・ウィルソン@賢者の石は「ブルックナーより長いからよい(超訳)」という趣旨のことを述べている。

指揮者 ・・・ 「指揮とは自由な創造の行為であり、楽曲とともに自然な呼吸をすること」「楽譜に忠実なことと感覚に忠実なことは異なる」「テンポは楽曲のなかに内在し、その本質を形づくっている」「フルトヴェングラーのみごなしには一点の硬直もなく、柔軟そのもの」「リハーサルでは口数が非常に少ない」「ソリストに気持ちの良い安心感を持ってもらうことが彼には非常に重要」。重要と思われる指摘を抜粋。たぶん指揮者自身の言葉に非常にちかいはず。

ベートーヴェン ・・・ 「フルトヴェングラーの演奏会を聴く人たちが、時間的経過のうちに完結した楽曲の形姿、最初の一拍から最後の一拍に至るまでの連関の総体を感得、いやはっきり認識できた」、でこれはシェンカーという研究者の概念「遠聴・・・遠い彼方、しばしば楽譜の数ページ先まで及ぶ大いなる連関を聞き取り、それに全体の調子をあわせてゆくこと」に由来がある、とのこと。あとは、コンサートとオペラの指揮者であるが、ピアノソナタ弦楽四重奏曲が暗譜していて、いつでもピアノで演奏できたというエピソードが面白い。またその熱心な説明で若い演奏家や指揮者を圧倒したらしい。

ワーグナー ・・・ エリーザベトと結婚したのは1943年(フルトヴェングラーの25歳年下)なので、エリーザベトの追憶は戦中のバイロイト音楽祭には向かわない。代わりに1950、53年にミラノ・スカラ座およびローマRAIのオケと共演した「指輪」全曲演奏とその録音について。フルトヴェングラーが初めて「指輪」を指揮したのはマンハイム時代の1916年で、30歳だったというのは驚き。これだけのチャンスをもらえる指揮者はなかなかいない。

オペラ ・・・ 「悲しいけれど崇高な場面が好き」「彼の指揮だと歌手は楽に呼吸ができる。フルトヴェングラーが指揮をしながら、正しい呼吸をしていたから」あたりが重要。

レコード ・・・ 戦前のレコード忌避は技術的な問題もあるけど、「共同体体験の不在」が大きな理由。なぜなら再現芸術においては指揮者とオーケストラと聴衆の存在が不可欠だから、というもの。戦後もその態度を維持していたが、EMIの「トリスタン」の録音から了承するようになり、ときには自分から録音を提案することもあった(上記のスカラ座との「指輪」)。死後すぐに、フルトヴェングラーの演奏会のテープを見つけて、大きな売り上げを達成し、以後現在に至る(毎年、同じ録音のリマスターやらミント盤のLP起こしやらテープ起こしやらのCDが発売される)。

読書家 ・・・ あれほど多忙にみえたのに、この指揮者は多読家だったらしい。「ユリシーズ」「キリマンジャロの雪」「ファウスト博士」「特性のない男」を初出と同時期に読んでいたものとみえる。関心の中心はホメロスゲーテシェイクスピア。残念ながら小説ばかりあげられて、哲学書の記載がない。

ドイツ精神と政治 ・・・ 1943年から1950年にかけてのナチ時代と非ナチ化の時代の彼の行動と、彼が受けた誹謗について。

プログラムの彼方の個人的追憶 ・・・ 1953年からの難聴と体調不良、それにもかかわらずの多忙な指揮活動。彼は死期を悟っていて、突然オケの指揮をやめるようになった、とのこと。しかし、1954年はたいそう忙しく、半年で54回の演奏会を9つのオケと行った。しきりに風邪と気管支炎を発症したが、慈愛することがなかったとか。ある意味、生き急いてしまった人だった。

 交友関係が点描されていていくつか発見。たとえば、1945年2月のスイス亡命はアンセルメの招きによるとか、1925-27年にニューヨークで大成功を収めながらアメリカ在住の演奏家に拒否され呼ばれなくなったとか、「春の祭典」のドイツ初演をしたとか。若い演奏家の名前(とくに彼を崇拝するもの)があがり、バレンボイムとメータは有名だが、当時無名の24歳のシモン・ラトル(ママ)が登場したのにびっくり。
 エリーザベトはあまり才気煥発な風ではなく、人当たりのよう常識人で家庭人であったようだ。なので、アルマ・マーラーやアナイス・ニンのような強烈な個性を発揮したり、鋭い観察を示したりするようなものではない。そこは残念。できれば、これをベースに彼女が語ることを年代順にまとめるような仕方がよかったのでは。ほかの人の文章や会話の引用が多いので、すこしばかり退屈。
<参考エントリー>
志鳥栄三郎「人間フルトヴェングラー」(音楽之友社)

 さて、フルトヴェングラーの指揮したもので、自分がよく聞くのを挙げておくと、(1)ベートーヴェン交響曲第9番。1951年のバイロイト祝祭管弦楽団。オケと合唱に問題ありとか、録音がよくないとか、いろいろ批判はあっても、第3楽章は格別の美しさ。ここだけで自分には不滅。
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(2)ブラームス・バイオリン協奏曲。メニューインルツェルン祝祭管弦楽団。バイオリンもオケも比類ない美しさ。第1楽章カデンツァでは音楽が天に昇っていく。
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(3)ワーグナートリスタンとイゾルデ」全曲。第2幕第2場の陶酔感。
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