odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ハリイ・ケメルマン「九マイルは遠すぎる」(ハヤカワポケットミステリ)

 文庫になる前にポケミスを買って読んだ。最初の作は驚きだったなあ。たぶん、論理的な演繹の執拗さにだろう。論理に行き詰ったら、特殊例だけに絞ったり、別の補助線を外から導入したりするものだもの。ケメルマンのやりかたは神の言葉の意味を考える神学的な思考の一種なのかしら。

・九マイルは遠すぎる−The Nine Mile Walk− ・・・ 「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、ましてや雨の中となるとなおさらだ」たったこれだけの言葉から、ニッキイ・ウェルトは驚くべき推論を行なった。これが11語というので英訳をこころみているが、未だに果たせない。それはさておき、この論理展開をすれっからしの年齢で読むと、時に恣意があるのね。根拠なしで「ここ」と仮定するし、推論が進むと「ここ」は半径5マイル圏内に拡大されるし。矢吹駆が「被害者が白砂糖を握って死んでいるのを見たとき、探偵はなぜ雪、糖尿病など別の可能性を考慮せず、すぐに麻薬を連想したのか、それは探偵が真実を見抜いたからだ、それが本質直観だ(超訳)」というのになぞらえれば、ニッキイは11語の言葉を聞いた時、すでに真相に達していたのである。なぜ真相を見抜いたかというと、(1)レジの会話をすでに聴いていた、(2)ニッキイがこの犯罪を計画・実行したから。つまりこの事件の真犯人はニッキイだったのだ。な、なんだってえ(AA略)。こんなんで、どーすか?

追記(2013/10/20):「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、ましてや雨の中となるとなおさらだ」の原文は下記のとおり。ちゃんと11語でした。

“A nine mile walk is no joke, especially in the rain”
http://www.amazon.co.jp/dp/0399105832


・わらの男−The Straw Man− ・・・ 有名な医師の娘が誘拐される。医師は警察沙汰にしないで、犯人と取引し、娘を取り返した。翌日、医師の兄、長年病苦にあった、が急死した。あるきっかけで、脅迫状が警察の手に入り、捜査が開始される。奇妙なことに脅迫状にははっきりわかる指紋がついていた。間抜けな犯人の意図は何か。オルツィ「ダブリン事件」の再話。

・10時の学者−The Ten O'clock Scholor− ・・・ 学位論文の発表会に学生がこない。彼の発表は学内で対立している二人の教授の説を解決するものだった。調べると彼は自室で撲殺され、自動車からは現金が盗まれ、前夜にガールフレンドと喧嘩している。ではいったい何が起きたのでしょう。ウェルト教授は話を聞いただけで解決する。これはチェスタトンの「意見が一致すると……」だし、アシモフ「ミラー・イメージ」だし、C・E・ベチョファー・ロバーツ 「イギリス製濾過器」だな。おっとここまで。

・エンド・プレイ−End Play− ・・・ 軍事研究プロジェクトの責任者2人はいがみあっていたし、研究の進捗も思わしくなかった。彼ら二人は毎週水曜夕方にチェスをすることになっていたが、途中来客があったので席を外したほうが射殺された。ニッキーは現場の写真、それもチェスの盤面をみて見事な推理を披露する。

・時計を二つ持つ男−Time and Time Again− ・・・ 吝嗇で時間に厳格な資産家が甥を使用人のようにこきつかっている。毎夜おなじみの儀式(窓を1インチあける、時計の時刻を合わせる)をして始めて就寝する。甥を気にしたある教授が夜連れ出すと、甥は鉄砲で空砲を打つわ、「階段から落ちて首でも折りやがれ」と叫ぶ。翌朝、首の骨を追った資産家が発見された。死亡時刻は甥が呪いの言葉を吐いた時間そのとき!超常現象ではないかと驚く教授たちのまえでニッキーは合理的な解決を述べる。カー「銀色のカーテン」かな。チェスタトン「ムーン・クレサントの奇跡@ブラウン神父の不信」の変奏曲。

・おしゃべり湯沸かし−The Whistling Tea Kettle− ・・・ 学会の最中で大学町のすべてのホテルは満員。おかげでニッキーの家にも参加者2人が泊まることになった(アメリカでは学生寮がこういう目的で使われる。夏休みで学生が帰省した空き部屋を格安か無料で使うのだ。もちろん学生には事前了解済)。分野の異なる教授二人がいて、ひとりはコーヒー好き、もうひとりは紅茶好き。コーヒー好きは高価な美術品を持ち歩いているといっていた。ある朝、紅茶好きがパーコレーター(コーヒーを抽出する器具の一種)を使っている音がする。これだけで、ニッキーは犯罪を未然に防ぐ。

・ありふれた事件−The Bread and Butter Case− ・・・ ある雪道で撲殺死体が発見された。小金の商いをしている男で、時に小切手も使うが死体からは発見されていない。この男の周囲には、マザコンの男とその母、ムショ帰りの娘、塀の上を歩いている男などがいる。死体の男は中年でそろそろ結婚を予定していた。なぜ死体をもっとわかりにくいところに捨てなかったのか、小切手がないのはなぜ、というところからニッキーの推理は始まる。

・梯子の上の男−The Man on the Laddar− ・・・ うだつの上がらない歴史学教授が書いた本がベストセラーになり、第2作を準備中。しかし仕事を手伝った助教授は目立たないまま。冬休みの休暇の前、パーティのあった翌朝、歴史学教授は工事の深い穴に落ちて死亡した。しばらくして助教授の家でアンテナ工事をしていた電気店の店主が屋根から転落して死亡した。こう書くと、犯人はみえみえだな。むしろここの面白さは、途中の会話にあるのであって、傍目には仕事の交渉であるものが別の意図をもっているということ。チェスの最中に会話によるチェスをしていたという皮肉。


 なるほどミステリをゲーム化することができるのだ。作者は登場人物の背後にあるもの(愚かしい不倫とか金銭欲とか、あるいは殺害をしたいという狂気など)にはいっさい眼をくれない。同情すらしない。小説においてはチェスの駒のごとく、作者の指し手の通り動けばよい。そうすれば、最初のトリッキーな指し手も、中盤の布石も、さいごの王手の意外さも驚きをもって受け入れられ、称賛されるであろう。そういう態度でもって書かれた小説。もっと文章を省略すれば、ソボル「二分間ミステリー」になるな。
 あとは、舞台が大学であること。この国の慣習とは異なる運営をしているアメリカの大学の様子が知れる。たとえば、法学部教授が郡検事に転職することに誰も驚かないとか、学長はその教授に長期休暇にしておくから大学に籍を残してくれと頼むとか(そんな人事権をこの国の学長がもっているだろうか)、夏休みの前には教授と夫人を交えたパーティをするとか、同じ町にみんな住んでいるから学科を越えた交流が教員間で自然と行われるとか、そんなところ。これらの習慣も1970年代までで、今(2011年)はもっと世知辛いものだろうが。