「奇術師の防止からウサギやハトが飛び出すように、完全密室の中から摩訶不思議な殺人事件が飛び出した! 煙がもうもうとたちこめる真っ暗な部屋の中で、各頂点にローソクが妖しくゆらめく五ぼう星形の模様のまんなかに、神秘哲学者セザール・サバット博士が恐ろしい形相をして、仰向けに横たわっていたのだ! そしてその模様のまわりは、魔界の王を呼び出す不思議な呪文で縁取られていた! いたるところに仕掛けられた巧妙なミスディレクションを、奇術師探偵グレイト・マーリニがつぎつぎと手際も鮮やかに解き明かす、密室殺人大魔術!(裏表紙サマリ)」
その後、学者と親交のある手品師が失踪。尾行していた警部の目前で、失踪するタクシーから本人が消失するという事件がおきる(とはいえ停車命令に応じないタクシーに発砲するのはいくらなんでも過剰な措置ではないのか、タクシーは大破、運転手は意識不明の重体になった)。翌夜、別の関係者を尾行していた警部は密室で絞殺された死体を発見する。とても幸運なことに(?)、雪の降りしきる中だったので密室の2階部屋の窓の下には積雪があり、もちろん足跡も梯子の痕もない。ともあれ事件の関係者は、神秘哲学者に手品師に魔術師に奇術師に腹話術師に降霊術者にと、ひとくせもふたくせもある連中で、舞台上での演技同様、腹に何を抱えているのかわからない。しかも饒舌な彼らは自分の術を頼まれれば披露するのであって、空中から硬貨やペンをとりだすことなぞなんの苦労もない。その事件を担当するのは、頑固で実証主義に凝り固まった警部であり、このような状況に対応できずいらいらしてばかり。彼の頼みにするのは世紀の大奇術師グレート・マーリニ(こう書くと二世代前のプロレスラーみたいだ)。彼もまたとぼけた主義を持っていて、なにか考えているようでも警部を韜晦し洒落を飛ばし、奇術の練習に余念がない。クライマックスは奇術師組合の年会で、特に選ばれたものたちの腕の披露。ホテルの23階を借りきった豪勢なステージでの銃弾口止めの秘術。銃声のした瞬間に、照明が消え、ステージに混乱が生じる。
1938年に著者32歳で書かれたミステリの処女作。時代から少し遅れた本格探偵小説スタイルで書かれているとはいえ、そこにはほぼ10年前の探偵小説黄金時代へのオマージュにあふれている。きわめつけはフェル博士の密室講義を取り上げた独自の密室談義であるだろう。もちろんこの講義もまたロースンが人口に膾炙させたミスディレクションのひとつにほかならない。分類体系としては乱歩御大のほうが精緻であるのでそちらを読まれることをお勧めし、本作中の犯人探しではこの議論にとらわれないほうがよい。残念なのは冒頭からしばらくは怪奇小説ないし神智学小説(最初の被害者はブラヴァツキー夫人の弟子筋)の趣もあり、膨大な奇術と魔術の書籍名が列挙されるという書痴には垂涎の光景が描かれながらも(ヴァン=ダイン「グリーン家殺人事件」のオマージュ)、その後顧みられることがない。いったいこの人の文体は怪奇小説には不向きなジャーナリストのもので、魔術と奇術を描くにはドライでシニカルなのであった。作中いくつもの密室、衆人環視からの消失などが描かれるも解決は奇術の舞台において実現可能なものばかり。カーや小栗のようなケレンも非現実性もない。となると、サマリのような他人の紹介文すらもミスディレクションの一環であるかとおもわせ、まこと小説の奇術に他ならない。
別の面からすると、魔術(超常現象)と奇術(トリック)の境はほとんどないにひとしく、超常現象の原因を考究する際に、消去法を用いて最後に残された霊的存在を受け入れると、時に間違いを起こすという教訓を残す。なにしろマーリニによると、魔術に見せかけた奇術は模倣と隠蔽の所産というのであり、そこに手慣れた術者のミスディレクションが加わると、不可思議やミラクルが現出するのである。
なんとトッド・ブラウニング(「フリークス」「魔人ドラキュラ」)が映画化していた。