初出は1985年。いみじくも「週刊本」シリーズの最終巻で、唯一のハードカバーである。
それはさておき、初出年にあるように「構造主義生物学」を名付けた邦書の最初である(と思う)。この時代には池田清彦は自説を発表していないので、柴谷との邂逅は後の話。素人に読ませる意図はなかったのか、柴谷の思考整理のためなのか、専門用語が注釈なくぽんぽんと登場する。しかも生物学と構造主義哲学の両方において。これはとても狭い層をターゲットにしたというしかない。
例によって章ごとのまとめ。
1.紋様形成の問題構成 ・・・ ネオ・ダーウィニズム(総合説ともいう)で説明困難な生物現象として、a.尺度普遍性(受精卵の操作によってサイズの異なる個体を人工的に作ることができるが、パーツの比率はサイズによって変わらないという現象)、b.形態普遍性(蝶や孔雀の羽の紋様のように、元になる細胞が別々に発生分化成長した後に、羽その他に連続する模様ができるという現象)。これはいまだに(1985年時点で)説明が付いていない。遺伝子とそれからの形質発現、および自然淘汰では説明することが困難。羽などの紋様が適者生存とか自然淘汰に有利に働くというのも無理ではないか。
2.分子生物学史の脱構築 ・・・ そのような問題に答えられない生物学を考えるために1940年代からの分子生物学史を振り返る。著者の見方は通常と異なる。分子生物学は生物学の「革命」であるが、重要なことはa.理論先行性(理論や予言が先にあって、実験によって実証されるという通常科学の仕組みと別の発展を遂げたこと)、b.遺伝子暗号の発見とその解読によって生物に「情報」の概念が導入されたこと(すなわち遺伝暗号系という法則・論理が生物全体に普遍的に妥当しているということ)。しかし、通常分子生物学の「革命」は物理現象、分子レベルの解明で生物現象が解読、説明できるという暗黙の了解(著者は物理還元主義という)と理解されている。これは分子生物学の「革命」の意義を裏切った認識。著者はこの革命と反革命の歴史をソ連の革命とパラレルとみている。
3.構造主義と分子生物学 ・・・ 1950年代は、分子生物学、クーンのパラダイム論、構造主義が同時にしかし相互に影響を与えることなく進行していた。で、ソシュール、バース、レヴィ=ストロース、ピアジュ、チョムスキーといった構造主義哲学の大御所の名前が出てくるが省略(文系の人はここらに興味を惹かれるのかしら)。著者は分子生物学の発見した遺伝暗号系とソシュールの言語論(でいいのだっけ?)のアナロジーを語る。しかし、むしろチェス・碁などのゲームと遺伝暗号系のアナロジーを見るほうがよいという。チェスなどのゲームでは駒の動きを観察できるが、その意味は背後のルールを知らないとわからない。同様に遺伝暗号系の解読も背後のルールを知ることが重要。いちおう釘をさしておくと、個々の構造主義哲学の理論はそのままでは遺伝暗号系など生物現象に当てはめることはできませんので。レヴィー=ストロースの婚姻論とウィルスの挙動のアナロジーなんかを構想しても無意味でしょう。
4.構造主義生物学の構図 ・・・ 特徴をあげると、a.非線形の現象に注目する、b.要素還元論と階層構造論(分子-細胞-個体-個体群-生態系のような)に与しない、むしろそのような「階層」を飛ばした共通性に注目する、c.全体論(ホーリズム)を取らない、あたり。なのでまずは分子生物学およびネオ・ダーウィニズムに批判的であるし、一方全体論を主張する清水博のバイオホロニズム(と自分の予想ではニューサイエンス)に批判的であるし、階層構造を重視するマルクス主義者や唯物弁証法論者にも批判的である(というか全体論か還元論かという議論を無効にしたい)。とりあえず注目する生物現象は紋様形成や発生や同類認知、多細胞の共同社会(粘菌など)など。
個人的な趣向でいうと、自分は今西錦司には批判的であるが柴谷篤弘には好意的。なので、ここに書かれた主張は刺激的で知的興奮を感じる(生物現象や生物学の最新知見に詳しくないので「同意」とはいえない)。この本での主張では、研究の手段は生物学の通常の方法と異なるわけではない、その解釈をする問題設定と思考方法が異なっているということ。もしかしたら多くの構造主義生物学のファンと広報担当者は、フランスの構造主義哲学を語ることのほうを優先しているのではないかという危惧がある。自分の読み取りでは、柴谷は言い分はこう。構造主義生物学と構造主義哲学は方法や問題意識に共通点はある。しかし、それぞれの成果はアナロジーはありそうだが、他分野には適応しない。ここは重要と思う。
あと、この本がでてから四半世紀が立つけど、構造主義生物学はまだ主流にならない。そこは分析と批判があってしかるべきだろうけど、そういう本は一般向けには出ていないようだなあ。
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