1981年、岩波現代選書で発行。1970年代に、科学は社会にどのような影響を与え受けたのかというレポート。廣重徹「科学の社会史」を受けて、書かれなかった1970年代を鳥瞰しようとする試み。ここでは「1968年」という象徴年に、科学の体制化の在り方が変わったという視点をもっている。
第1章 一九六〇年代後半の科学・技術の転回点
第2章 公害、環境科学、テクノロジー・アセスメント ・・・ 公害という言葉は1960年代初頭にはなかったが、先進諸国の環境問題の続発により一般的な言葉になった。初期には暴力的に公害反対者を抑圧していたが、それだけでは対応できなくなった(マスコミの非難があるとか科学者の支持がなくなるとか市民運動の強まりとか)。そこで公害防止の法律が制定される。また被害の評価、原因究明のために生態学(エコロジー)が注目される。さらに大規模事業や新技術の社会利用にあたりアセスメント(事前評価)を行うようになった。以上はアメリカの状況。この国は公害防止の法制化は早いがアセスメントが行政に取り入れられるのはずっとあとのこと。
第3章 ベトナム戦争と科学者運動 ・・・ アメリカでは科学とベトナム戦争とのかかわりが主に大学生に問われた。自然科学専攻者からはとくに、枯葉作戦の興味があり、ある生態学者の提案で現地調査が行われた。その結果、枯葉材の大量散布が生態および人体に深刻な被害を及ぼすことが報告された。そこから軍を出資者とする科学研究の是非が問われる。のちに、アメリカでは軍の科学研究費のうち大学に回される分が減るようになった。日本では軍の科学研究費が大学にまわることはほとんどなかった。ここはアメリカ、イギリスの科学研究体制と日本の体制の大きな違い。
第4章 研究費の削減と科学政策の変化 ・・・ ベトナム戦争の戦費がかさみ、それに対する批判がでてきたことで、アメリカ政府は科学研究費を削減することになった。スプートニクショック以来、研究費は増加するというモデルで組織運営していた大学(NASAのような研究機関も)は組織改革をすることになった。また基礎研究が経済効果をもたらしていないという批判もあり、どの分野のどのテーマに研究費を配分するかを検討するようになった。その際に経済効果(しかも短期的)を図ることも導入された。長期的な基礎研究や大規模施設を使う巨大科学に歯止めがかかるようになった。
第5章 大学闘争と大学改革 ・・・ 先進各国で若者による体制批判、権力批判の激しい運動が起きた。矢面にたったのは、政府や企業のみならず大学もそうであった。大学が封鎖されるなどして研究教育活動が阻害されるようになったとき、大学の改革活動がおきた。アメリカでは各大学で、フランスでは国家で。日本では一部の大学が学生を参加させる改革を行おうとしたが、学生の反対にあってついえた。かわりに文部省が主導する大学改革案がでて、筑波大学に結実した。
第6章 反科学と科学批判 ・・・ 反科学が1960年代の主に20代の若者に発生。彼らはベトナム戦争に直面していたこととスプートニクショック以来の科学の詰め込み教育の対象者であった。日本では反科学の思潮は大学闘争の敗北の後の1970年代にめだつ。オカルト、占星術、超常現象などへの興味。またそれとは別に「科学批判」が科学の内部、実際の研究者から起きた。科学批判の論点は、a.科学の要素還元主義への批判、b.巨大科学(原発、素粒子研究、宇宙開発など)への批判、c.公害・環境破壊への批判、d.科学者のありかたの反省、e.科学を進める体制や資金源などの改革、などを含む。
第7章 文化大革命とその影響 ・・・ 第三世界発の「造反」として文化大革命が注目を浴びた。科学に関しては、裸足の医者の実験と科学研究の停止(科学者、技術者の抑圧)が報道された。1980年時点では、4つの近代化路線に変わっている。
第8章 第三世界における適正技術 ・・・ 1950年代からの第三世界への科学技術援助は多くが失敗していた資本がない、技術者がいない、市場がない、既存産業を破壊するなど)。先進国の科学技術を移転するのではなく、その国・地域のもつ旧技術に適合する規模の小さい技術を移転するべきという議論と実験があった。
第9章 オルタナティブ・テクノロジーとエコロジー ・・・ 最先端の科学の研究成果を導入しようとするとき、いろいろな問題がでてくる。やみくもに取りいれると、巨大資本の利益にしか貢献しないし、権力の監視体制は強化されるし、市民の利益や幸福にはつながらない。なので、地場の既存産業に貢献するとか、伝統的な技術を復活するとか、専門知識のない人がメンテや改良に参加できる小規模技術を使うとか、そういう試みが行われた。いろいろ呼び名はあるが、この傾向や考えを示すものとしては「オルタナティブ・テクノロジー(もうひとつの技術)」がよい。他には適正技術、代替技術などがあった。また、環境、生態への関心、エネルギー源の枯渇の心配などからエコロジーにも一般的な興味が現れた。
第10章 原子力発電論争 ・・・ 1970年代の原子力反対の議論にはいくつかの傾向がみられた。a.科学派・・・安全性や廃棄物処理など未解決問題があるからやめよう、b.管理社会反対派・・・原発および核燃料はしっかり保全しなければならずそれが警察社会、市民の抑圧になるからやめよう(ロベルト・ユング「原子力帝国」)、c.巨大資本反対派・・・原発を運営するのは巨大な資本と国家なので市民生活の抑圧につながる(アンドレ・ゴルツ「エコロジスト宣言」)。原発推進は1972年の石油ショックから始まったが、一時期4倍に価格の上がった原油も値が下がったことで熱は冷め、1977年のスリーマイル島事故によって「安全性神話」がなくなった。
第11章 遺伝子組み換え ・・・ 1973年に遺伝子組み換え技術が作られた。その直後に、実験のモラトリアムとガイドライン作成が提案された。事故の可能性が極小で、事故のインパクトが無限大(当時はそう思われた)の場合、リスク評価をどうするかというのが議論の中心。西欧ではガイドライン作成に市民が参加したことや、行政が科学研究に歯止めをかけるなど興味深い事態もあった。この国では、市民は議論に参加できなかった。
第12章 「新技術」のインパクト ・・・ おもにパソコン関係の技術。IBMあたりが主導している巨大コンピューターが中央集権的で、市民の監視抑圧にはたらくという批判があった。このころから個人所有のコンピューターの開発が進んだ。当時の議論では、PCは地方分散的であり、民主的な技術と思われたが、一方、仕事をなくし失業を増やすのではないかという議論もあった。
第13章 人類と科学が生き残る道
あえて、1980年以降のできごとを書いていない。ここにあげられた事象には、廃れたものもあり、予想されたほど大きな問題ではなかったものもあり、体制のルールに取り込まれたものもあり、現在でも問題であるものもある。ま、これだけ社会現象を鳥瞰するのであれば、そんなもんだろう。気のついたことは、科学の問題だと思われたことが、政策や経済の仕組みまで巻き込まないといけないことがのちにわかった(適正技術やオルタナティブ・テクノロジー)。科学は万能ではないにしろ科学にたいする信頼感は高かったが、20年来の不況などで科学に対する信頼がうすれてきているのではないかと思われること(科学研究費の削減、大学数の削減、学力低下、ニセ科学の蔓延。とりあえず新聞に出てくる用語を使った)。
著者は科学のありかたをいくつかの類型にまとめる。
・アカデミズム科学 ・・・ 旧来の体制や市民とは自立した科学者集団が行う科学。これが大学闘争その他の運動で批判された科学。
・体制化科学 ・・・ 研究費を提供する国家、企業などに奉仕する科学。広重徹のいうように科学の成果に国家や企業が着目した時から科学はこちらになっている。ただし、科学者集団がほぼ完全に取りこめられるのは第2次大戦以降。
・市民のための科学(市民による科学) ・・・ 科学の成果はだれが受け取るべきか、同時に平和や自由を獲得するために科学と科学者集団はどのように仕事をするかを考えたとき、対象は「市民」であるべき、という考え。このような科学はまだ実現していないが、今後の科学者はこれをめざすべきと著者は考える。
同時期に「市民のための科学」を主張した人はいたわけで、高木仁三郎とか里深文彦など。宇井純らの「市民講座」運動をふくめてもよい。市民運動の退潮とともに、この種の主張をする人も組織も少なくなったように見える。自分の考えはまとまっていないが、Lunax、Firefox、openofficeのようなボランティアによる各種ソフトの開発運動あたりに可能性を見ることができそうだし、一方「市民」というのはターゲットとしてはあまりに対象が不明瞭な概念だとも考え、どうすればいいのかなあと悩んでしまう。
大した感想を書くことができないので、ここでは書誌リストをあげる。「科学と社会の現代史」の問題意識を共有するような本で1980年代に入手可能だったもので、自分が読んだもの。たぶんほとんど品切れか絶版。いま読み返すと主張が誤っているものもあるだろう。
アメリカ合衆国議会特別調査「遺伝子工学の現状と未来」(家の光協会)
アンドレ・ゴルツ「エコロジスト宣言」(技術と人間社)
イヴァン・イリッチ「脱病院化社会」(晶文社)
ウィリアム・ウォルターズ「試験管ベビー」(岩波現代選書)
エリック・エックホルム「失われゆく大地」(蒼樹書房)
ケン・コーツ「生活の質」(岩波現代選書)
スーザン・ソンタグ「隠喩としての病」(みすず書房)
テッド・ハワード「遺伝工学の時代」(岩波現代選書)
ディビット・ディクソン「オルタナティブ・テクノロジー」(時事通信社)
トーマス・クーン「科学革命の構造」(みすず書房)
ニコラス・ウェード「人類最後の実験」(ダイヤモンド社)
ヘレン・コルディコット「核文明の恐怖」(岩波現代選書)
レイチェル・カースン「沈黙の春」(新潮文庫)
ロベルト・ユング「原子力帝国」(アンヴィエル)
磯野直秀「化学物質と人間」(中公新書)
宇井純「公害原論」(亜紀書房)
奥野良之助「生態学入門」(創元社)
華山謙「環境政策を考える」(岩波新書)
吉岡斉「科学者は変わるか」(社会思想社)
宮本憲一「日本の公害」(岩波新書)
剣持一巳「現代科学の犯罪」(新泉社)
原田正純「水俣病」(岩波新書)
高木仁三郎「危機の科学」(朝日新聞社)
室田武「エネルギーとエントロピーの経済学」(東洋経済)
柴谷篤弘「あなたにとって科学とは何か」(みすず書房)
柴谷篤弘「反科学論」(みすず書房)
柴谷篤弘「生物学の革命」(みすず書房)
森下郁子「川の健康診断」(NHKブックス)
星野芳郎「瀬戸内海汚染」(岩波新書)
中西準子「下水道」(朝日新聞社)
中村禎里「科学者 その方法と世界」(朝日新聞社)
中村禎里「危機に立つ科学者」(河出書房新社)
槌田敦「石油と原子力に未来はあるか」(亜紀書房)
槌田敦「資源物理学入門」(NHKブックス)
渡辺格「人間の終焉」(朝日出版社)
渡辺格「新しい人間観と生命科学」(講談社学術文庫)
都留重人「世界公害地図 上下」(岩波新書)
唐木順三「「科学者の社会的責任」についての覚書」(筑摩書房)
島津康男「環境アセスメント」(NHKブックス)
反原発事典編集委員会「反原発事典 1・2」(現代書館)
富山和子「水と緑と土」(中公新書)
福本英子「生命操作」(現代書館)
米国政府特別報告「西暦2000年の地球 1・2」(家の光協会)
米本昌平「バイオエシックス」(講談社現代新書)
堀江邦夫「原発ジプシー」(現代書館)
里深文彦「いま、民衆の科学技術を問う」(新評論)
廣重徹「科学の社会史」(中公自然選書)