グレゴール・メンデルは1822年生まれで1884年没。モラヴィア地方にいた。教職志望であったが検定試験に2度失敗し、僧職につく。29歳のとき、僧院の推薦でウィーン大学に留学し、主に物理学を研究。帰国後、僧院の教職につき、博物学・物理学全般を指導。あわせて、僧院の庭で遺伝の実験を行う(えんどう豆のほか、ミツバチ、ネズミも対象にしたとか)。1865年にえんどう豆の実験結果を発表。50歳ごろに僧正になったが、偏屈な性格に変わり、不遇なまま62歳で死去。彼の研究発表は印刷されて小部数ではあるが各国の博物学者に配布されたというし、1869年、1881年にメンデルを引用した論文が出ているという。一般にはド・フリースなどによって1900年に再発見されたことになっている。
さて訳者はメンデリズムを知らないとこの論文は理解しがたいといっている。逆に言うと、高校教科書2ページにまとめられるメンデルの法則を理解しておけば、この冗長な論文を読む必要はない。メンデルの法則はのちにダーウィンの自然選択と突然変異のアイデアと組み合わされることによって、現在の進化論になる。なので、進化論を理解する前提はメンデルの法則(と発生学と遺伝学)を理解すること。
メンデルの法則の詳細は、いくつかのサイトを参考にしてください。
メンデルの法則 - Wikipedia
メンデルの法則 - 遺伝学
で、20世紀前半には、この法則に細胞分裂、生殖、発生、生化学などがこの法則を補完するようになっっている。こちらもあわせて理解するように。ここを理解しないで進化論を批判すると、間違いになるので要注意。自分のみたことのある創造論やID説は、メンデルの法則を無視していることが多い。
写真は戦前に小泉丹が訳したもの。旧字旧かな。
さて、以下は個人的な感想。もっと詳細なメンデルの意義は科学史の本にかかれていると思うので、興味のある方はそちらを参照してくださいな。
1)実験デザインが重要なこと ・・・ 現代の論文には必須のmaterial and Methodにあたることがここに書かれていることに注目。博物学の文書だと省かれる。そして、方法が結論(主張)を導くためのもっとも短いルートを作っていること。誤った実験デザインだと、結論があいまいになる。この実験デザインをしっかり作るのは生物学や博物学だと、たぶん最初期のものになる。
2)生命現象を個別から一般記述に変えた ・・・ 自分のいいかたはあいまいだなあ。単純にいうと、それまでの生物学は「えんどう豆」の豆の形や色を記述し、種の分類に使ってきた。メンデルは形や色を「形質」という概念にまとめる。その言葉と概念と使うことによって、「えんどう豆」単体の知識でほかの種や現象を記述することを可能にする。さらに、その「形質」が遺伝する方法として、遺伝子という存在を確認していない概念を導入した。これで「えんどう豆」単体の記述を生命現象全般の記述に拡大することを可能にした。物理学の要素還元主義を博物学に導入し、生物学に変貌させた重要な契機である。
3)確率と統計を博物学に導入 ・・・ 上記の概念の導入、記述の形式化を補強するものとして、数学処理を博物学に使った。これも斬新なアイデアで、博物学を生物学に変貌させた契機である。ただ、のちの人が追試してみたら、この論文ほどきれいな結果がでなかったので、メンデルはデータを操作したのではないかという疑いが出ている。
もっとほかの重要な事が見つかると思うが、まあここまでにしておこう。メンデルに欠けていたのは必要なときに必要な場所にいるという運か。モラヴィアという「辺境」で、ドイツ語で論文が書かれたというハンディが彼の発見を過小評価させる理由になったのだろう(これが医学論文であればドイツ語は有利に働いたと思うけど:当時はドイツが医学の最先端)。ニセ科学を主張する人は自分をガリレイ、ウェーゲナーにたとえるのを常とするけど、メンデルが登場することはまずないなあ、勉強不足だと思う。