odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

深見弾編「東欧SF傑作集 下」(創元推理文庫)

 東欧SF傑作集の下巻。1980年に編まれた時には下記の国別分類が有効だったが、1989年の東欧革命で分裂したり、なくなってしまった国もある。チェコスロヴァキアの作家はかろうじてチャペックとパリに亡命したミラン・クンデラをしっているだけ。その他の国の作品はこれ以外に読んだことがないという不勉強。

チェコスロバキア
ネスヴァードバ「ターザンの死」 ・・・ 1930年代にドイツ領アフリカで野生のサルと暮らしてきた「ターザン」が見つかる。発見者はイギリスのモデルで、ターザンはドイツの貴族の息子と知れる。野生の地から文明の都市をやってきたターザンは遺産をめぐる諍いと争いにまきこまれ、みなに見放されてサーカスに入っていた。当時の政治状況が書かれているので、ターザンはチェコスロバキアの暗喩なのはあきらか。アメリカではターザンは文明を凌駕できたが、東欧では文明に敗北する。

カイドシ「ドラゴン」 ・・・ 中世のヨーロッパでドラゴンを退治するために騎士が荒野に旅に出た。そこにはドラゴンの死骸が横たわっていた。どうやってドラゴンは現れたのか。ドラゴンのいる理由をつじつま合わせの技術というか論理的に説明するのは野暮だよなあ。ルーシャス・シェパードみたいにファンタジーに徹したほうがよかったかも(ドラゴンの象徴するものが広がるしね)
タルロ「気力を失った瞬間」 ・・・ 不注意で惑星探査船のドアをロックしてしまい、異星におきざりになった男の恐怖と安心。

チャペック「移民局」 ・・・ 移民局担当者のタイムマシンを使った移民計画の説明。最後になんとも絶望的なオチがつく。

チャペック「システム」 ・・・ バプチストとカソリック教徒の乗る船でなぜか嫌われて放りだされた男たち。彼らを助けるために海に飛び込んだビジネスマンが、自分のシステムを語る。すなわち労働者問題の解決のために、彼らを徹底的に管理し、労働以外に欲望を持たないようにしたという。そのシステムは完ぺきだったが、ある状況がおきて・・・戯曲「ロボット」の主題の変奏。

ユーゴスラビア
イサコーヴィチ「消失」 ・・・ 精神エネルギー研究所のヴァン博士が家族もろとも失踪。その直前には、精神エネルギーに関する新しい実験を開始していた。まあ、よくある進化の果てとしての精神生命体だ。しかし、秘密警察と記憶消去が書かれているとなると、精神エネルギー=マルクス主義イデオロギー、失踪=収容所送りの暗喩であるのは明らかか。これほどにストレートな批判が可能なのはユーゴという国ゆえかな。

東ドイツ
シュタインミラー「金星最後の日」 ・・・ 金星で巨大地震(金星震だって)が発生。初老の労働者ギルバートはロボットを遠隔操作して、最も危険な生物学研究所の破壊に向かう。そこで作られているバクテリアは金星の環境を破壊しかねない。なので、生身の生物はいってはならないのだ。という話に、若いころの夢破れて孤独に生きる男の再生の物語も組み込まれる。

ルーマニア
ロゴズ「時空への脱走」 ・・・ 天才的物理学者が砂漠で隔離された研究所で時空に関する新しい理論を発見した。その研究所は体制維持のためなので、科学者は協力する老科学者の意思で理論を闇に葬ろうとするが。これも現実批判のためのSF設定だな。

アラーマ「アイクサよ永遠なれ」 ・・・ この時代は、惑星間航行が可能になっている。銀河系の航行も可能な鉱物資源のある星が見つかり、先遣隊が送られる。しかし数年たっても返事がないので、彼らの保護と再調査のために新たな調査隊が派遣される。豊かな森林に覆われた惑星には動物が存在しないようで、一見のどかな星だ。幸い、一人が発見されたが重要な情報は得られない。そこから不思議な出来事がおこる。いつのまにか宇宙船は破壊されていて、地球に戻ることができなくなるとともに、疑心暗鬼にとらわれた隊員たちは一人一人姿を消していく。惑星全体が「吹雪の山荘」と化してしまい、隊員たちは疑心暗鬼にとらわれる。
 「森」は惑星全体を覆うひとつの生命体であるという仮説が作中で建てられる。この森は調査隊となんらかのコミュニケートをしたいようなつもりがありそうだ。調査隊はそのコミュニケートしてくる「ことば」を理解することができない。というのも北方の森のように静かでさびしいものだから。まあ、レムの「エデン」「ソラリス」のような人と全く異なる生態系、コミュニケーションシステムをもつ<生命体>との接触がテーマであるとみなすことはできる。もうひとりのコンタクトテーマを考察している作家にル・グィンがいて、同じく森が主人公である「世界の合言葉は森」という中編があって、こちらはもっと湿気があって、活力のある盛だった。
 とはいえ、そういう系譜学には意味がないだろう。自分は、このアイクサと称される惑星の豊かな「森」、しかし動物の生存を許さず、静かにたたずんでいる生態系、そしてそこに侵入した異物を排除するシステムをソ連の官僚機構のアナロジーのように思った。このような全体一致、一枚岩的な生命体というか環境を前にすると、ソ連および東欧共産主義国家の市民は、「森」の側の言語を理解できず、コミュニケート不全と隊員間の疑心暗鬼に陥るだろう。「アイクサよ永遠なれ」にしろ「ソラリス」にしろ、高度な知性生命体とコミュニケート不全な関係ができるという異様な物語は、想像力によるというより、作者の現実を反映したリアリズムの所産であると思う。ここではアイクサの森は侵入した「敵」の排除に成功するが、人との接触でシステムの一部が異常をきたす。それが希望であるような印象だけど、たぶん書かれた1950-60年代では暁はまだまだ先の話であった。
 この小説は、全編が現在形で書かれている(翻訳の際の技巧とは思えないので、最初からそう書かれていたのだろう)。このやり方では、語り手は登場人物の誰かの後ろに張り付いていることになるので、場面転換を多くしないと物語をすすめることができない。事実、多くの章が作られ、章と章の間に起きたことは登場人物の口を通じてしかかかれず、その分臨場感が増す。「映画」的な作り方といっていいのかもしれない。とはいえ、こういう語り口はめったにないので、読むのに時間がかかった。


 いずれの小説も個々人の意見とか感想とか心理が書かれているわけだが、彼らは自分を覆い尽くすもっとおおきな存在を意識せずにはいられない。まあ、<システム>とでも呼ぶような大きなものに囲まれていて、どうにもそこからは逃れがたいということになっている。個人が<システム>に挑戦しても勝ち目は訪れない、なにしろ言葉が通じないのだから。そして理不尽な暴力にさらされることになる。戦いは絶望的で、沈黙と憂鬱に落ち込んでしまう。希望はあるにしても、それはかすかな光でずっと先の世代においてようやく実現できるもの、そんな孤立無援の状況がどの作でも感じられる。あわせて科学技術も人間の解放をするのではなく、監視と統制の手段に用いられるので信頼がおけない。そんな風な社会状況と人々の精神を読み取りたくなる。
 これが1989年の「東欧革命」で一掃されたのかしら。不勉強で知らないです。すみません。