odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ヤコブセン「ここに薔薇ありせば」(岩波文庫) 19世紀半ばの夭逝したデンマーク作家の短編集。死の親近性と繊細で震えるような感受性の持主。

 著者の名は、クラシック音楽ファンにとってはシェーンベルクの大作「グレの歌」の原作者であるということで知られている。杉田玄白プロジェクトによって、グレの歌の元が収録されている「サボテンの花ひらく」が翻訳されて読むことができる。まことにありがたい。
ヤコブセン(ヤコプスン)-サボテンの花ひらく日本語訳
 おまけ。シェーンベルクグレの歌」はブレーズ指揮BBC響とケーゲル指揮ドレスデン・フィルをお勧め。普通の録音(シノーポリ、インバル、クーベリック、フェレンチェク、クリップス)では聞こえない音が聞こえるというお楽しみがある。
 一方、その他の作品は読もうにも本が出ていないという状況だった。実際、この短編集も1953年の初版の後、1993年に8刷。その間少なくとも20年間は書店に並んでいなかったのだった。
 ヤコブセンは1847年生まれのデンマーク人。若いときから詩作の才能をもち、25歳の1872年に「モーゲンス」で小説家デビュー。以後、詩と小説を書く。どうやら結核に犯されたらしく、闘病の末1885年死去、享年38歳。のちにリルケがこの夭逝の作家にほれ込み、幾多の文章で紹介と賛辞を書いたそうな。その中には「若い詩人への手紙」があるということだけど、あれほぼ同時期に2冊を読んだが、記憶にないや。まあ、いいや。詩人だからといってよいのか、言葉の選び方が慎重でイメージ喚起力にあふれた文章をつづる人だ。多くは自然の動植物に風景の描写、繊細で細やかで安逸な気分や雰囲気をよくあらわしている。そこらへんは文章を読む楽しみ。でも、ストーリーや心理となると少しおぼつかない。

モーゲンス ・・・ 親に早く死なれた青年は放浪の旅の途中、気楽な暮らしをしている。あるときであったカミラという娘に一目ぼれ。さっそく強引に結婚を申し込む。さて新婚の日々、実家に帰ったカミラはおりからの火事に巻き込まれてしまった。妻を亡くしたモーゲンス、ふたたび放浪の旅に出て、一度は同棲するものの何か物足りない(この別れ方の傲慢なこと)。次の放浪の旅の途中、若い娘と出会い、今度は幸せな結婚を迎えることができました、とさ。ストーリーを骨格だけにすると身勝手な男の放浪。そこに詩的イメージが加わっているだけ。うーん、なぜ当時の人はこれを迎え入れたのかしら。男の未練とかほのかな恋愛というのが珍しかったのかねえ。

霧の中の銃聲 ・・・父に早くに死なれたヘインセンは育ての親の娘アガーテに求婚するが拒否され、しかも頬を打たれる。数日後、婚約者とアザラシ狩りにでかけたとき霧にまぎれて、婚約者を射殺した。事故と処理され、ヘインセンは罪に問われることなく莫大な資産をかせいだ。アガーテはよき友人となったがその夫は浪費家でヘインセンにしばしば無心した。さて、夫の投機が失敗に終わり、アガーテがヘインセンの助けを求めるとき、彼はどうしたか? 牧歌的な描写の裏側にはそれぞれの身勝手があるのだよな。

二つの世界 ・・・ 病弱な娘がまじないを教えられる。若い健康な女にまじないの花束を投げれば、病はうつり、自分は治る。そうして娘は健康になったが、花束を投げたときに見た女の顔が忘れられない。すっかり精神を病んだ娘は幻想の女のあとを追って、水に入っていく。そのあとを例の女が新婚旅行で再び訪れたのだった。

ここに薔薇ありせば ・・・ バラ園の古城を見ているうちに生まれてきた物語。中世風の悲恋、それを揶揄する道化の小姓たち。幻の薔薇が咲いて、この幻想に彩を添える。

ベルガモのペスト ・・・ 中世ベルガモの町にペストが猛威を振るう。そこで起こることは村上陽一郎「ペスト大流行」に書かれていることと同じ。さてこの町に鞭打ち苦行同胞団の一行がやってくる。最初は嘲りの対象であったが、あまりの異様さに市民は恐れる。そして狂気に陥ったその町の教会の若い僧が説教する。キリストの磔刑についてだが話は微妙にずれる。「貴様が神の子であれば自分を救え」と嘲る群集を前に、キリストは激怒し、十字架から自ら降りて衣服を取り返し、憤怒のうちに天に帰るのだった。そして「われわれのために十字架にかかって死んだイエスなどはないのだ。」と結ぶ。なんだ、これは! なぜこんなものが書かれたのだ?

フェンス夫人 ・・・ 集中力をなくしてどんな話なのか覚えていない。たぶん夫を亡くした未亡人が、娘と息子が一人前になるまではしっかりしていようと決意していたが、彼女の前に現れた男の誘惑には逆らいきれず、恋のとりことなる。自分らが結婚する前に結婚した母を子供らはなじり、疎遠になる。死の床についた母は和解のための感動的な手紙を書いたのだった。


 残されたのはこの6編の短編に、長編2つと断片と詩であるというので、ある程度のことは言えるのかな。いくつかの特徴。
1.妖精や地の霊などが生活のすぐ近くにいるという感覚。「霧の中の銃聲」「二つの世界」「ここに薔薇ありせば」はホラーともファンタジーともいえる味わいをもっている。その分近代小説からは離れているのだが。北欧神話ムーミンを結ぶ環の一人かもしれない。
2.死の親近性。それの元になる嫉妬。嫉妬の原因は自分は何事かをなしたいのに、なすことができないというあせりか。嫉妬のあまりに無計画な行動に走ると、死はとてもちかいところにある。「モーゲンス」「二つの世界」「フェンス夫人」など。ここに肺病を病み、いくつもの断念をしなければならなかった作者の境遇を想起してもいいのかな。そうそう、愛が主題だけれど、現世では愛は実現しないか断念するものであるらしい。
3.繊細で震えるような感受性。自然の観察力。微細な葉っぱの揺れ動きとか、木陰の鳥のさえずりとか、ようやく耳に聞こえる虫の羽音とか、こういう感度の高い神経の持ち主。ただ、映画やTVを経験しているものにはすこしばかりうっとうしい描写が続くけど。また、そういう感性の書き込みが先にたって、ストーリーを語ることを忘れがちになる。それも彼の小説を古いものにしているなあ。
 で、こういう特徴は「グレの歌」にもある。どうしてシェーンベルクヤコブセンに引かれたのか、うまい説明は付かないなあ。「ベルガモのペスト」のような非キリスト教的な宗教性と「霧の中の銃聲」のような現世では実現しない愛あたりへの共感なのかしら。

ヤコブセン「ここに薔薇ありせば」(岩波文庫)→ https://amzn.to/49SHW2I
 

odd-hatch.hatenablog.jp