odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

トーヴェ・ヤンソン「ムーミン谷の冬」(講談社文庫) 暗闇が続く冬に目覚めた少年はひとりぼっちに耐えて自立しなければならない。

 1957年初出の第5作。

 冬になると、スナフキンバックパックを背負って南に行き、ムーミン一家は松葉を腹いっぱい食べて11月から4月まで冬眠してすごす。その冬もそうやって過ごすはずだったが、ムーミントロールは真冬のあるとき目を覚ましてもう眠れなくなってしまう。トロールの歴史において初めて冬に目を覚ましてしまった少年。驚いたことに、ムーミン谷には冬のときしか訪れない客がいたのだ。その代表がおしゃまさん。若い女性だけど、釣りと手回しオルガンが大好きで、だれかと一緒に何かをするのは嫌い。ムーミンとあってもそっけないほど、自分の暮らし方を変えない。その自立心はムーミンに強い印象を残す。もう一人目を覚ましたのが、ちびのメイ。この子は好き勝手なことをして新しいことを発見していく子供だな、きかんきが強いからおしゃまさんのようにひとりぼっちにはなれないだろう。「ひょっこりひょうたん島」のキッドと同じタイプ。
 さて、その冬はとても寒かった。なので、孤独で冷たいモランが火を求めてやってきては、自分の体温で火を消してしまうし、氷姫と目を合わせた「せかいでいちばんりっぱなしっぽをもったリス」は凍りついてしまい、北に向かった氷姫のために世界が氷漬けになり、難民がムーミン谷に集まってくる(そのためにママの作ったジャムをふるまうことになる)。おおかみにあこがれるが群れに飛び込めない犬の「めそめそ」は内省が強くて、いじいじしてばかり。だから世界が凍りつくことは、自分の心を閉ざしていることの象徴。アンナ・カヴァン「氷」サンリオSF文庫と同じ主題。
 1957年の作ということで、どうしても氷に閉じ込められた世界(しかも高緯度のムーミン谷の冬には太陽がまったく陽をささない。だから最初に太陽が姿をみせる一瞬はとても大事。冬が消え世界が再生する象徴)を、スターリン時代の記憶の反映とみてしまう。氷姫が世界を氷漬けにしたので、家を捨てた人たちがムーミン谷に逃れてくるのは1945年前後のソ連と東欧からの亡命者がフィンランドほかの北欧諸国に向かったのを思い出させるのだ。ムーミン谷の住民にしろ、逃れてきた人にしろ、人々はだれも憂鬱な気分の持ち主だし、一人ぼっちでいることを好み、しかし誰かとコミュニケーションをとって好かれたいと思いながらもそれを実行できない。それは、ひとつにはこの北欧諸国の人々の気質であるだろうし(のちにフリーセックスの国として有名になるのだが、その一方であまりに自立が要求されるので、ひとりぼっちに耐えられない人には生きるのが辛い場所らしいよ)、もうひとつは共産主義とかナチスとかの国家社会主義の記憶の反映かなあ。ここにはヘムルさんという闊達で元気あふれ行動的でスポーツ好きな人物が登場する。彼はウィンタースポーツをよくするけど、それを他人に押し付けようとする。もちろんだれもがそれをうっとうしいと思っているのだが、口にしないので、ヘムルさんは謙譲とみなして、何度も彼らを誘うことになる。人々に拒否されていながらそのことに気付かないヘムルさんをどうしても、ドイツのワンダーフォーゲル運動→青年運動→ナチスヒトラーユーゲントあたりに結び付けたくなってしまってねえ。それはまたソ連の青年運動→コムソモールでもあるかもしれないし。あるいは単純に若い生の力の象徴かな。でないと、おさびし山(なんて悲しい名前の山!)の向こうにあるもっと高い山に向かうヘルムさんにめそめそとおどおどしたサロメがついていく理由がつかないし。
 だから春は待ち遠しいものになるし、雪が解けていくことによって人々は開放的な気分になっていく(氷姫から逃れた人たちも春の到来とともに北に戻る)。子供の時にもっとも印象的だったのは、ムーミンママが春の到来を楽しむために、写真フィルムを虫眼鏡で焼くところ。なんとも開放的で自由な気分を自分も感じて、叔父の残した古いフィルムを持ち出して、自分も老眼鏡で太陽光を集めたものだ。あいにく、フィルムが燃え上がることはなく、焦げ臭いにおいと穴を作るだけでがっかりしたけど。トーヴェおばさん(と訳者の山室静さん)の言葉のマジックでした。
(追記2023/8/27 「ムーミン谷の冬」が書かれた1957年ころは、カメラのフィルムは可燃性のセルロイドだったが、発火事故が頻出したので難燃性のPET(ポリエチレンテレフタラート)、PP(ポリプロピレン)、PVC(ポリ塩化ビニル)などに変えられた。)
 この国の冬では想像つかないだろうけど、ムーミン谷の冬は日中のほとんどがまっくらなことを思い出そう。緯度の高いこの地方だと、冬は暗闇に包まれる。その世界には氷姫やモランのような冷たい生き物がいておかしくないし、収容所の冷たさもひどいものになるし(ロシア語のマローズ「酷寒」はソルジェニツィンの重要なキーワード)、人々の関係も冷たいものになるのかな。あとこの物語のムーミントロールは観察者に徹していて、ほかの人の変化を見ることになる。そのために本人は成長しないし変化しない。「冬」というトロールたちの知らない世界を調査するために派遣された探偵みたいなものか。



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