odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

トーヴェ・ヤンソン「ムーミンパパの思い出」(講談社文庫)

 第3作目で1950年の作。
 風邪を引いてすっかり弱気になってしまったパパ。ベッドに引きこもっているのをママが心配して、自分の思い出を書いたらと勧めた。パパの思い出と、それを読み聞かせられた子供たちの会話が交互に現れる。

 よく知られるように、パパは孤児だった。新聞紙にくるまれてヘムレン孤児院の前に捨てられていたのだ。ヘムレンおばさんが星占いをすると良い星の下に生まれたと、2時間ずれていたら犯罪者になっていただろうという。この話を村上春樹が興味深く感じたというエッセイがあるので参照されたし。で、この厳格で規律にうるさく時間厳守の孤児院を子供のパパは気に入らない。あるとき、手紙を残して(とても礼儀正しいな。家出を勧めはしないが、これくらいの気遣いはほしい)、孤児院を飛び出る。根っからの空想家のパパは生活の心配よりも冒険に心奪われる。森の中で発明家フレドリクソンと出会い、いっしょに「海のオーケストラ号」に乗って旅に出る。同乗するのは、もの集めにいそしむロッドユール(スニフの父)、何もしない自由人ヨクサル(スナフキンの父)。途中、龍のエドワード(この巨大な龍は怒りんぼでいて、それでいて心優しく、要所要所に登場しては物語を推進する役目を持っている)を策略にかけて洪水を起こしたり、あるときは海中で食べられそうになったりする。旅でよった王国では王様の100歳の誕生日。園遊会にカーニバルに宝探しゲームと楽しいことが続く。フレドリクソンは王室の発明家になり、ムーミンパパは操舵室を改良した家をもらってそこに現れたゆうれいと友達になり(ゆうれいが刺繍大好きというのは笑える)、ロッドユールは妻を見つけ、パパは嵐の中遭難しそうなママを見つける。
 とても印象的な一編。というのも昔ながらの英雄譚をそっくりそのままなぞっているから。パパは孤児であり、自分が何者かを知っていない。だからこそ「冒険」「自由」が欲しくてならない。そして束縛と義務を押しつけられる孤児院=家族、学校を脱走する。それはヘムレンおばさんの庇護=セイフティネットから抜けることを意味するのだが、それを若いパパはもちろん理解していない。そして信頼でき知識のある師匠(メンター)とであい、自分を教育する方法を発見する。その手法はメンターの管理下にあるうえでの「冒険」であり、同じような境遇の友人との共同作業。そうしていくうちに、彼の資質=個性が発揮されるようになり(パパの場合はアイデアの創出であり、仲間を集めるリーダーシップと、空想癖か)、周囲に理解され仕事を任せられるようになり、共同体の一員に認められていく。そこにおいて、ようやく彼は孤独ではなくなり、うれしいことに生涯の伴侶を得られる。パパの物語はここまでであるが、これは子供からみたときの理想的な自己実現の物語になるのだろう。小学生の読書のときにも、強い印象をもったのだが、理由はそこら辺にあるのだろう。
 そのかわりこの物語に欠けているのは、性(セックス)と死と暴力と孤独であるか。第二次性徴を迎えた後、この物語から急速に離れていったのは、自分の現実において発生したこれらの問題に、この物語はなんらの示唆を与えなかったからだろうな。おかげで性と暴力と死と孤独がそこら中にあるミステリーに魅力を感じ、ときにドストエフスキーなどの「純文学」にも手を伸ばしていったのであった。
 読み直してみると、トーヴェおばさんの人生に対する観照は優れていて、なまじの童話には描かれない省察があるものの、子供の時にはまったく省みることができず、老年を迎えて読み直すと、ときに心にしみる。自分はパパのような波乱万丈の人生を送ってはいないのだが、パパが省みたものには同感できるだけの体験(成功と挫折)を経験してきたのだなあ、と。とりわけ最後の3行には心打たれる。なるほどここには典型的な人生が描かれているのだなあ。