odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

江川晴「小児病棟」(読売新聞社) 1980年の第1回女性ヒューマン・ドキュメンタリーの入選作品集。子供・病者にもっている偏見と理想化が裏切られるリアルを描く。

 1980年の第1回女性ヒューマン・ドキュメンタリーの入選・佳作の4編を集めたもの。出版社の主催であったが、別の企業の協賛があったように記憶しているし、新聞に大きな広告が載ったように思えるし、のちにはTVドラマになったりと大きく扱われたような覚えがある。別のドキュメンタリー新人賞と勘違いしているのかもしれないが。内容の感想に移る前に、まあこの時代では「女性」と名付けることが差異化に必要であったり、なにかの主張であったということを指摘しておくか。ボーヴォワールの「第二の姓」、イリッチ「ジェンダー」(これはもう少し後)、ラング「飛ぶのが怖い」のような思想運動はあったとしても、まだまだ社会の性差は大きかったし(なにしろ企業の女性社員は入社後数年で結婚退職するのが奨励されていたしね。「総合職」という通常と異なる職種で結婚退職不要の人材募集がおこわなれるようになったのは、1980年代半ば以降か)。そういうときに「女性」というキーワードで大手の出版社や企業がマーケティングをするようになったのは珍しかった。今はたぶんない。
 さて4編のうち読めたのは表題作のみ。それ以外の3編は、ナルシズムが芬々たる様子でどうにも読み込めませんでした。これは主に読み手である自分の問題。たぶん偏見や思い込みがあるのだろう。
 表題作は看護婦(作中の言葉をそのまま使用します)が小児病棟を担当することになり、苦労するという内容。患者は6歳以下の幼児たち。骨折や盲腸炎で入院し、数週間で退院するものもいれば、原因不明の疾患でどうにも手の打ちようがなく、数年を病棟のベッドで過ごし、家族の面会は制限される子供がいる。彼らはときに奇行を繰り返し、病態のために周囲に不快をもたらすこともある。それは、同じ病棟の子供たちの差別を誘発し、医師の無関心を起こす。そのはざまにあって苦闘するのが看護婦(それも20代前半の若い人たち)であるという。
 自分もそうだが、人々は子供・病者・老人・貧者になにごとかの偏見と理想化をもっている。ようするに子供は天使のように無垢で清浄で、個性的であり、常に溌剌として、その言動において大人を癒すことができる、未来のあるべき人間の姿は子供らにあるというような。病者にしてもそう。まあ、たいていの子供・病者・老人・貧者はそういうふうにみることができるのだろう。でもそのイメージから逸脱するものがいて、それは社会から隔離されているから、逸脱を認識することができない。なので、糞尿を垂れ流し、機嫌が悪いととことん他者に暴力をふるい、あるいは布団をかぶって他者を拒否する子供・病者を見るのはショッキング。なにしろ、自分らの偏見や理想化を裏切るものだから。拒否しているのは子供・病者ではなく、見る自分自身ということになるのか。
 でも、たいていそのような偏見と理想化は覆されない。それは隔離されて、見えない仕組みになっているから。だから現役の看護婦(くどいが原文ママ)が隔離された先から、穴をあけて「現実(作者によって理想化されてはいても)」を見せられた読者である自分はショックを受ける。それは自分の偏見や理想化を壊されることだから。自分は医療関係者でないので、この状況がこのノンフィクションのあと、変わっているのかどうかはわからない。