odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

トム・リーミー「サンディエゴ・ライトフット・スー」(サンリオSF文庫)

 トム・リーミーは1935年テキサス州生まれ。長じてファンジンを作っていたが、作家にはならず映画界で仕事をしていた。40代になって作家に転業。しかし1977年に心臓麻痺で死亡。実質的な活動期間は3年で、長編「沈黙の声」とこの短編集がほぼすべての作品。以上、解説を参考に記述。

トウィラ1974 ・・・ カンサス州の田舎の町にトゥイラという、桃色の人形のような美しい少女が転入してくる。その人間放れした容姿に、周囲の生徒に影響を及ぼしていく養子に、担任で校長のミス・メイハンは恐怖を感じる。おりしも、クラスで彼女のライバルである女生徒が町中で殺された。そこからさらに疑惑が深まる。ハーラン・エリソンの序文でいうように、前半は長々しい描写で後半は書き急ぎ。でも、この物語は「沈黙の声」の下敷きになっていると思うと、それもまたよしかな。

ハリウッドの看板の下で1974 ・・・ 警察官の「俺」は事故の検証に立ち会っているとき赤毛の彼を見る。彼は完ぺきな顔と肉体の持ち主だ。そのような顔を「俺」はほかの事故現場でもみている。そこで、「俺」は休暇を取り、「彼」を捕まえ、山麓のコテージに監禁することにした。警察小説が、犯罪小説に移行し、さらに別のものに。死に際の顔を「彼」が覗き込むというのは、ブラッドベリの短編にあったな。

亀裂の向こう1974 ・・・ 古い開拓地で外部との接触のないモーガンズ・クレフト。15歳のダニーが牧師を殺害したのが始まりだった。子供たちは大人たちを殺戮していく。一人一人と餌食になり、村は恐怖に陥る。うーん、導入部を書いたところで強引に終わりにしてしまった感。キングやクーンツだとこの着想で800ページの大長編にするだろうに。永井豪の「ススムちゃん、大ショック」は殺害の方向が逆だけど、理由が不明というのが恐怖の原因。永井のが少し早い。

サンディエゴ・ライトフット・スー1975 ・・・ カンサスの田舎に住むジョン・リー。母の死に合わせて、村を捨て、バスでロスアンジェルスにやってくる。この無垢な15歳の少年はハリウッドの売れない女優かモデルをしている女性に拾われ、翌日から隣家の「サンディエゴ・ライトフット・スー」という中年45歳の画家のモデルになる。そこから始まる中年女性と少年の愛の日々。それが終わりになるのは、スーの元愛人の男が泥酔して家に訪れた時。二人してもみ合ううちに、男は持参したナイフの上に転んでしまった。「青い体験」「個人授業」「卒業」のような少年が中年女性に憧れて、大人になっていくストーリー。あるいは現代の「ダフニスとクロエ」(クロエはこのストーリーにはいないけど)。とても感傷的で、人によっては最も好むのではないかな。(ライトフットは「尻軽」の意であって、転じて「娼婦」)

ディノサウルス1975 ・・・ どこかの水惑星に住む水棲生物と陸生生物のコミュニケーション不全みたいなものかな。陸生生物は絶滅寸前の寿命の短いものらしく、水棲生物は長期間生きられるものらしい。会話のない実験的な作品。

スウィートウォーター因子1975 ・・・ ルネサンスのオペラのように擬人化された「歴史」と「自然」が登場。世界に不条理をもたらすモントゴメリーに二人はすっかり翻弄されている。さて、元凶のモントゴメリーが死んだら。

ウィンドレヴン館の女主人1976 ・・・ ようやくゴシック・ロマンス風小説で目の出た作家アグネスはタイトルの小説の完成に集中する。しかし、無職で職探しをあきらめた夫との生活は冷え切っている。夫のDVを避けるために小説世界に耽溺するようになり・・・。作中作が小説を飲み込んで、地と図が反転してしまう。心のおぞましさ、無意識の現実化。

デトワイラー・ボーイ1977 ・・・ ロスの街で殺人が起きる。知り合いが殺されたので、私立探偵マロリー(チャンドラーにこの名前の探偵がいる)は捜査を開始。浮かんできたのは美しい青年。まるで天使のような容姿と顔と髪の毛の持ち主。あいにく背中に大きなこぶを持っている。奇妙なことに彼は三日と立たずに転居を繰り返し、居住地の近くでは誰かが死んでいた。そこでマロリーは彼に近づき、犯罪の証拠を見つけようとする。待ち伏せのところからすこしずつリアリティが亡くなっていって、不思議な世界に変貌していく。

琥珀の中の昆虫1978 ・・・ 嵐の中、車を飛ばす一家。しかし、洪水と流木のために、同じ道を通っていた数台の車に乗っていた連中と古ぼけた屋敷に泊まることになる。一行には、屋敷の持ち主もいたので、使うことに躊躇することはなかった。しかしその屋敷には50年前の不思議な出来事と未解決の殺人事件が起きている。おびえる一行の前に、亡霊のようなものが姿を現し、屋敷の持ち主である心理学の教授はテレキネスの持ち主で、主人公の少年ベンは同じテレパシーの持ち主アンと運命的にであい、屋敷には何かの巨大な心理的なエネルギーがバリアを張っていて・・・。幽霊屋敷ものの怪奇小説がずれていって、SF的なアイデアに収れんする。冒頭はくどいわりに(それなりに魅力的だけど)、おしまいが駆け足の竜頭蛇尾な一編。

ビリー・スターを待ちながら1978 ・・・ 油田があるというからテキサス州の田舎になるのか。レストランで派手な喧嘩をして男ビリー・スターがでていく。娘スザンヌはレストランに残り、ビリーの帰りを待っていた。あらゆる男の求婚を断って。砂嵐の夜、一人の男がレストランに入ってきた。男はスザンヌの知り合いだった。ガーシュイン「ポーギーとべス」の役割が裏返しになったセンチメンタルなロマンス。

二〇七六:青い眼(ブルー・アイズ)1979 ・・・ 映画の準備稿。上帝に支配されて人口の99%がいなくなり、それから75年。上帝を打倒するための活動を開始する若者のアドヴェンチャー。「マトリックス」の物語を「マッドマックス」の風景で描こうという感じかな。


 純然たるSFは「ディノザウルス」くらい。他は、怪奇小説、ハードボイルド、青春小説など別のジャンルの枠組みを使っている。彼の短い創作活動を考えると、ここに収録されたのは習作なのではなかったのかしら。
 いくつかの特徴は
アメリカ南部の風土が背景にある。豊饒さと荒涼が同居し、神話的・呪術的な雰囲気の濃厚なところ。ときにストーリーの進行を妨げても、場所を詳細に記述することがある。「トウィラ」「サンディエゴ・ライトフット・スー」「琥珀の中の昆虫」の冒頭など。短編だとこの記述が煩わしいとおもうことがあるなあ。
・「天使」的なものと暴力の共存する世界。天使的な存在はおおむねハイティーンから20歳くらいまでの男性青年の姿をしていて、無垢で清浄な心持ち。だが彼の存在はほかの人々に恐怖を感じさせるものらしく、突然暴力が彼を襲うことになる。世界は無垢で清浄な存在を許さないし、そういう存在は傷つき時として命を落とす。ここらへんの挫折とか不条理な暴力には社会全体の1960年代の「革命」経験が反映しているのではないかしら。作者自身は政治的なところは感じさせないけど。この時代には、68年体験の余熱を描くSFがいくつかあり、その影響圏内にトムはいたと思う。ただ、この人は反逆や反抗、コミュニティ志向を主題にすることはなく、むしろその挫折や喪失体験のほうが作品に反映されていると思う。それもこの国への紹介と受容が遅れた理由だろう。
・ファンあがりであるためかどうかはわからないけど、小説の構成はうまくない。上にも書いたけど、前半が冗長でのんびりしていて、後半になると端折りすぎで駆け足になる。全体として竜頭蛇尾になってしまう。
 ハーラン・エリスンの序文が彼の生涯と作品分析を的確に行っていて素晴らしい(すこし長いけどね)。本編よりも序文のほうが面白かった(というのがトム・リーミーの制約なのだろうね)。エリスンは「デトワイラー・ボーイ」を最上作に推薦。続くのは「ハリウッドの看板の下で」「ウィンドレヴン館の女主人」。これはプロの目から見た時。読者からみると、美少年がでてきて、同性愛描写があって、センチメンタルな別離の物語である表題作が好まれるだろう。