odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ロバート・ブロック「サイコ」(ハヤカワポケットミステリ)

 自分のもっているのは創元推理文庫ではなく、1975年初出のハヤカワポケットミステリ。なので、タイトルは異なっている。画像参照のこと。

 さて、ヒッチコック監督の1961年の映画「サイコ」の原作であるということで、もう紹介は完了。くだくだしいストーリーを書くよりも、映画を見よう。そのうえでこの本を読むのがいい。その点では、「2001年宇宙の旅」第三の男」のように映画も小説も傑作というなかなか珍しい作品。
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 映画との関係から気の付いたところ。
・1959年の初出ということで、モダンホラーを用意した新しい機軸の作品。古めかしい意匠をかぶりながらも中身が新しくなった。その点では、シャーリー・ジャクスン「山荘綺談」1959年リチャード・マシスン「吸血鬼(地球最後の男;アイ、レジェンド)」1958年と並ぶのだろうなあ。スティーブン・キングによると、1970年代のその種のものはアイラ・レヴィンローズマリーの赤ちゃん」1967年、ウィリアム・ブラッティ「エクソシスト」1971年トマス・トライオン「悪を呼ぶ少年」1971年なので、ここらと合わせて読んでおきたい。
・主人公(?)ノーマン・ベイツは、映画ではアンソニー・ホプキンスが痩せ型、中背で神経質な青年だったけど、小説中では小柄でずんぐりしたデブ。ここはすごくギャップの出てくるところなので、注目。
・いずれも当時の基準としては悪趣味(バッド・テイスト)をえぐく描写したものなんだ。映画「サイコ」のメイキングによると便器や下着は当時映してはいけないことであったし、例のシャワーシーンでの流れる血に、目を見開いたまま息絶えた死体の描写(瞳孔が閉じているのはよくないという指摘があって、次作でちゃんと答えたのは有名な話)も。通常「サイコ」は一連のサイコパス犯罪やスプラッター映画の原点といわれるけど、もしかしたら、ジョン・ウォーターズピンク・フラミンゴ」、パゾリーニ「ソドムの市」、マルコ・フェレーリ「最後の晩餐」というバッド・テイスト映画の系譜に入るのではないかしら。さて小説でも同様。死体の様子に、その処理、ノーマンの生理的な反応、という具合に直截的な描写が満載。
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・あとは小説と映画の見せ方の違いにも。メアリ・クレインが不動産の手付金4万ドルを詐取して、ベイツ・モーテルにチェックインするまでに映画は40分ほどかける。しかし小説ではたったの30ページ(全部で180ページ弱)。メアリが殺されるまで40ページ。しかし映画はここで半分。という具合に、何を見せるか、どのようにストーリーを語るのかで、小説と映画はずいぶん異なる。そこにヒッチコックの編集術のすごさをみることができるだろうな。
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・その代わり、小説にしかないのはノーマン・ベイツの内面描写。母に支配され、自立できず、田舎のモーテルにこもりっぱなしの孤独な青年。さきの外形と合わせて、これはもう読者そのものだね(すなわち、俺の鏡像)。で、中村真一郎が「深夜の散歩」でいっているのだが、彼によるとこの小説はちっとも怖くない、むしろ明晰な心理小説である、と。まったくそのとおり。真相を示唆する微妙な描写が至る所にあり、それを追っていくとちゃんと犯人を知ることができるのだ。ということはベイツの心理を読むことによって、読者自身の心理を自己分析しているのかも。
・この小説の事件の外見はアイリッシュのものでもある。貧乏な娘、手にした偶然の大金、運命的な選択。娘の失踪、フィアンセの追跡、私立探偵や警部の追跡。ヒロインが危機に陥ったときに現れる正義の使者。こういうプロットはアイリッシュにたくさんある。「消えた花嫁 (All at Once, No Alice)」など。でもアイリッシュとまるで違うのは、センチメンタリズムがまるでなく、乾いたリアリズムを徹底していること。そのうえで人間の本性の恐ろしさを暴くのは、ロス・マクドナルドにきわめて近いな。「さむけ」「ドルの向こう側」など。
ポケミスの解説は都筑道夫センセー。小説の内容には一切触れない。そのかわりに、当時(1960年)のアメリカのミステリ出版社の動向を書いている。うれしいのは作者のロバート・ブロックがラブクラフトのファンで、オーガスト・ダレルの編集する「ウイアード・テイルズ」の読者で、作家デビューがこの雑誌であると書いてあること。この国でクトゥルー神話に熱心なファンがつくようになったのは、1970年代末からか。1960年代から創元推理文庫ラブクラフト傑作集2冊が出ていたが、全集刊行を開始したのはそのころ。ソノラマ文庫でも何冊かクトゥルー神話の短編集が編まれた。大瀧啓裕や荒俣宏がこのあたりの事情を熱心に記述していたので、すでに知っていることだったが、センセーがずっと前からちゃんと目を配っているのがわかってうれしい。