先にぶっとい中村勝己「世界経済史」を読んでいたので、ここで書かれた事例がいつごろのどこのことかがはっきりしたのがよかった。
この本では、歴史の記述を考えるのではなく、経済の発展のモデルを作ること。そのモデルは妥当性を持っているように思える。少なくとも、マルクス・エンゲルスの「史的唯物論」のような硬直な「進歩」ではないということが主張の中心(あるいはトインビーとか梅棹忠夫「文明の生態史観」のような単純なモデルでもないことをメモしておく)。たとえば、ギリシャの都市国家とルネサンス期のイタリア都市国家を商人経済で共通性をみているところあたり。目の前にあるのに、そのような認識をしていなかったので、ここには感心した。また、西洋と東洋の封建社会も経済の共通性を見出すなども通常の歴史家にはない視点だな。
いくつかのポイント。
産業革命までに用意されていなければならないこと。1つは、「行政革命」。それまで王と従者の相互契約関係、さらには地方領主の土地所有で成り立っていた制度を、国家の派遣する官僚に当地させるということ。官僚の費用を国家の税収で賄い、その代わりに官僚自身には土地などの資産をもたせず、国家の命令を遵守させ、国家が彼らの首を切る事ができるようにする。それによって(それだけではないが)国家の権力行使範囲を広げる。多くの場合は、封建領主を打倒した新しい政権によって行政革命が行われる。
もうひとつは、「固定資産」の増大。それまでの商人資本は、流動資産が主であり、少量の固定資産があったが、固定資産そのものは生産に関係がなかった。産業革命で、生産資本が大きくなるとき、流動資産の増加よりも早く固定資産が増加した。それがさらなる生産性の増強と利益の増大を生み、資本主義経済が進展することになる。
3つめとして、固定資産の増強のためには、金融機関の進歩が必要となる。通常の貸付・借入方法では固定資産を購入するだけの投資を受けることができない。そのとき、「為替」「小切手」などを開発する銀行はそれ自体が貨幣鋳造所の役割を持ち(通常は権力だけが貨幣を作ることができる。しかし中世の領主は貨幣鋳造能力に欠けていたため、税収不足→借入→増税→税収不足という悪循環に入った)、固定資産購入のための資金を用意した。これが産業革命を推進する背景になった。そのような金融機関は、ルネサンス期の商人都市国家からイギリス・オランダ・スペインなどの商人国家形成期に成立した。(日本では、商人都市国家はあったが、その後商人経済は進捗しなかった。そのため金融機関の進歩は明治維新まで起こらない)。
このあたりの指摘は、第三世界諸国への援助、科学技術の普及という問題をからめて考えたほうが良い。適正技術の導入とか緑の革命とかいろいろやったけど、たいていうまく行っていない。失敗している場所の問題は、上の産業革命を用意する条件を満たしていないからではないか(たとえば「教育」の不足、「識字率の低さ」などを問題としてもいいけど、官僚を自国で養成するシステムがないということに言い替えることができる)。
この本を読むと、経済史によって、「貨幣」「法」「官僚」などの成立は説明がつく。しかし、近代国家の起源と根拠はよくわからない。ということは、いまの「国家」の根拠もまた幻想ということか。必要に応じて生まれたが、「国家」という制度に拘束されることはないんだな。国家を止揚することを目指すことには根拠がある。
中村勝己「世界経済史」