odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ポール・クルーグマン「良い経済学悪い経済学」(日経ビジネス文庫)

 佐和隆光「市場主義の終焉」で紹介されていた経済書。著者は国際経済、とくに貿易の専門家であって(2008年にノーベル経済学賞を受賞)、ここに収録された論文は経済専門誌に掲載された。とはいえ、この人は啓蒙家でもあり、難しい計算式を使わないでも、経済の問題を説明する力を持っている。なので、初心者でも追いつけるくらいの内容。
 特徴は、保護主義ナショナリズムに反対する立場であること。それはすぐさまリベラリズムにつながるものであるかはわからないが、自由であること自由意志を尊重すること他者にたいするいたわりを持つことなどはこの人の人柄にあるに違いない。また学問的誠実さを求めることも忘れていない。

 内容は衝撃的。多少自分の妄想も入ったまとめ。
1.第3世界の経済発展が第1世界(先進国)の脅威になると言う主張が行われているが、第1世界の経済全体に与える影響は極めて軽微である。低賃金である国では、なにか比較優位な商品を輸出することができる。第3世界の生産性の向上は当該国の賃金を向上するが、貿易している他国に与える影響は軽微。それほど多額の輸入をしている第1世界諸国はないから。
2.多くの経済問題は、国内の問題である。たとえば製造業の雇用と賃金の縮小、非熟練労働者の賃金低下や失業など。ただし輸入商品と競合する商品を生産する業界や企業は影響を受ける(生産性を上げる投資をするか、コストを下げなければならない)。その結果、失業が生じた場合は、調整の費用が第1世界の国に発生する。
3.多くの場合、保護主義は国民全体の利益を代表しているようにみせかけるが、たいていの場合は特定の業種・団体の利益を代弁しているにすぎない。国の競争力の向上云々というスローガンで経済政策を決定すると、効果のない投資を行うことになりかねない。
4.国は企業のように競争しているわけではない。国家間の貿易はゼロサムゲームではない。ある国の貿易収支が黒字か赤字であるかはその国の地位や生活水準とは関係ない。他の国や集団を敵に見立てて、それに対する対抗意識を高めることは、戦時体制国家でしばしばみられることだ。最近の国際競争に関する議論は、国をベースに敵と見方を峻別することを強化する。本来、貿易はどちらが勝つかという戦争なのではなく、互いに利益を得るという行為である。したがって、本義からして貿易や国際経済を戦争の比喩で語るのはおかしい。
5.「国の競争力」概念は内容を持たない空虚な概念。国の競争力を定義する指標や数値はない。むしろ生産性で考えたほうが良いが、生産性の向上は他国との比較で測るものではなく、国内の変化(伸び率)で測るのだ。
6.社会主義共産主義国家の経済発展は、資本投資を行った結果であり、1950-60年代にいわれたような技術発展による生産性の上昇によるのではない。通常ならば国民消費に回されるべき利益が資本になって経済に投資されたからである(国民の生活水準をあげないで、産業振興策をとった。あるいは農民を工場労働者に変えた、など)。生産性があがっていないので、経済成長にはおのずと限界があった。それが1980年代の社会主義国家の消滅につながった。同じような現象が1990年代のアジアにも起きている(日本も例外ではない。日本の生産性は経済成長に見合うほどに成長していない)。
7.国内の失業問題は、セイフティネットの充実(不足している場合は低賃金の不満足な仕事につくようになり、充分な場合は満足な仕事を得るために失業期間が長い)や、財やサービスを生産するための熟練労働者や専門知識所有者を必要とし非熟練労働者を不要としてきたなどで考えるのがよい。国家間競争とは無関係。
8.経済のグローバル化が注目されるが、それは19世紀後半に起きていたこと(レーニン「帝国主義」)第1次世界大戦以後の保護主義政策でグローバル化は抑制されていた。20世紀終わりにおいて、経済のローカル化が進行。すなわち貿易の割合が下がり、狭いエリア(ローカルといってよい)で循環する経済がほとんど。なので不況の問題は国際競争力ではなく、ローカル経済の沈滞のほうが重大。
9.有名なエコノミスト、場合によっては経済の専門家が、経済学の基本知識を持っていない。彼らは自分の主張を裏付ける目的で資料を恣意的に活用し、しばしば資料やデータの読み方を誤っている。
10.経済の「常識」といわれるもののほとんどは、その時々の流行であり、他の人も同じように考えているからという前提で語られるものである。多くの場合、その「常識」は経済学の研究結果と一致しないし、故意に無視している。
などなど。
 これを読んでよかったことは、上記のような知識をもつことで、経済評論家・政治家・TVコメンテーターらのでたらめな言説をスクリーニングできるようになったこと。「国の競争力」云々をいいだしたら、こいつは経済学を知らないから意見を拝聴する必要はないと判断できる、ような。時間の節約になるのでありがたい。もちろんここに書かれている経済学の基本概念は別に勉強しておいたほうがよい。1998年から2000年ころに書かれたものなので、情報は古いところもある。

ポール・クルーグマンクルーグマン教授の経済入門 」(日経ビジネス文庫)→ https://amzn.to/4asQUUq
ポール・クルーグマン「世界大不況への警告」(早川書房)→ https://amzn.to/4ammK5g
ポール・クルーグマン「良い経済学悪い経済学」(日経ビジネス文庫)→ https://amzn.to/3JaSWfX