odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

宇沢弘文「社会的共通資本」(岩波新書)

 これまで収奪の対象でしかなかった「自然」や、公共物としてその経済的効果を判断することのなかった道路・公園などの公共財、たんなる公共サービスとしかみていなかった教育・医療・介護などを社会的共通資本として人々の管理において適正な使い方をしていこうという考え方。これらの分野については、新古典主義マネタリズム、合理的期待形成学派経済学などによって、市場化されるだけであった。そのために、本来、これらの使用やそのサービスを受けることによる利益、便益は公正に使われるべきであるものが、不公平・不平等を拡大する方向に用いられている。これらの社会手共通資本に組み込まれるべきものは、その現場において激しく荒廃しており、矛盾は少数の人に押し付けられており、政権その他は手をつけていない(手をつけるとすると特定団体の利益を拡大する方向にしかやらない)。
 著者はこの社会的共通資本を有効に活用し、次に生まれてくる人たちに継続して安心して使用できるようにするためには、制度的経済学の考えが必要であるとしている。この経済学ではたんじゅんに経済の仕組みを分析するだけではなく、人々が安心して生活できるような仕組みも考慮しなければならないとしている。(以上は2005年の初読時の感想)

序章 ゆたかな社会とは ・・・ 「社会的共通資本は、ひとつの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にする社会的装置」。自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本の3つのカテゴリーに分けられる。なにが社会的共通資本かは地域の要因に依存して、政治的プロセスで決められる(だから国による制度の違いがある)。分権的市場経済制度が円滑に機能し、実質的所得分配が安定的になる制度と諸条件ともいえる。

第1章 社会的共通資本の考え方 ・・・ 社会的共通資本は職業専門家に受託・信託され、国家や自治体の規定に基づく運営、市場基準による運営ではない。市民(利用者)に対する管理責任をもつ。

第2章 農業と農村 ・・・ 農は社会的共通資本を使用する営みなので、重視しなければならない。戦後の個人や家による経営は限界があるので、数十戸から百戸程度のコモンズ(社)による経営が望ましい、ということだ。いくつか。農は「自らの人格的同一性を維持しながら、自然の中で自由に生きることが可能になる」ということだが、理想化しすぎてはいませんか。まるでハイデガーのように人間の本来性は土地と接触する農夫のもとにある、というような観念化。あと、コモンズというけど企業でもOKなのでは。農の問題には、ハイリスクローリターンで個人で大きな借入をしていることと、農業共同体の閉鎖的で濃密な人間関係が嫌であるというのもあると思う。後半のところは、自由な出入りが可能で、個人が負債を負わない企業形態でもOKなのでは、と思うのだが、いかが。ああ、もちろん農林水産業が社会的共通資本で、国家や自治体などから投資や支援があるべきだ、というのは賛成。

第3章 都市を考える ・・・ 都市の問題のうち、くるま社会をとりあげる。要するに、自動車の社会的費用を運転者や所有者が支払わず、使用しない人が負担して不公正であるということだ。そこから都市がどうあるべきかの社会的コンセンシャスをとらずに構築されていることの批判。ジェン・ジェイコブズの人間的な都市をモデルとして提案。小冊子なので十分に論旨を展開できなかった。残念。

第4章 学校教育を考える ・・・ 教育が重要な社会的共通資本であるという話。前半は初等教育で、生徒の社会的統合・平等・人格的発達を目的とするという話で、後半は高等教育、特に大学に予算を潤沢にという話。では、資金をどのように調達するか・教育するものをどのように要請するか・適切な学校はどのようなものか・自治体や国家と教育はどのように区別されるべきかなどの論点はない。別に新書を書いているからここでは問題提起だけか。いくつか。「子供は才能を持っている」からそれを伸ばせというのだが、大多数は平均に収まるくらいの才能しかないよ、どこも優れたところのない平均な子供はどうするの? 大学に関してだと、大学の目的はなんでしょうねえ。研究者の育成なのか、職能の伝達なのか、そこらへんごっちゃになっていないかな。ケインズのいたころのケンブリッジ大学は素晴らしいそうだが、そのころと状況は違う(進学率の違いとかこの国の高等教育機関との違いとか)ので、そのままでは大学の民営化に抗する提案にならないのじゃないかな。

第5章 社会的共通資本としての医療 ・・・ ここでも医療が重要な社会的共通資本であるという話。医療的最適性と経済的最適性が一致していないのが問題(難しく言うなあ。ベストな治療をすると費用がひどくかかり、健康保険や病院を黒字にしようとすると医療従事者を苛酷な労働条件にさらすか患者やその家族の負担を増やすしかない、というトレードオフがある、と言い換えられるかな)。
(参考)
2014/01/29 真野俊樹「入門 医療経済学」(中公新書)

第6章 社会的共通資本としての金融制度 ・・・ 直前に貨幣危機や不良債権問題などで金融システムが正常に働かず、貯蓄者の資金が適切に管理されず、金融機関と監視当局と経済学者のなれあいが問題を拡大したことを指摘。それ以上の話はない。堀内昭義「金融システムの未来」(岩波新書)あたりで補完。
(参考)
2014/05/26 岩田規久男 「金融入門(旧版)」(岩波新書)
2014/05/27 岩田規久男 「国際金融入門(旧版)」(岩波新書)

第7章 地球環境 ・・・ 自然環境はこれまでは資源の供給地として収奪の対照であり、生産と消費の過程で生まれる廃棄物の廃棄場所だった。でも、人間の開発と消費は自然の回復能力を破壊し、人間の生存を脅かすにいたった。ここにおいて自然環境は自然資本ではなく、社会的共通資本として受託・信託され運営されなければならない。もちろんその意見は同意。ではあるが、自然と人間の良好なあり方がコモンズであるというのはいただけない。そういう伝統回帰で解決することではないでしょう。これまでどこにもなかった場所(国家なのか世界共和国なのか村なのか呼び方は置いておくとして)に行くのではないですか。


 再読(2012年)の感想は辛くなってしまった。著者の年齢は初出時に70歳直前。どうもノスタルジックで、伝統回帰の考えをもっていて、理想主義的で。具体に落ちる議論がないのは残念。「社会的共通資本」という概念の提唱者が著者であるとすると、この本は啓蒙書ではなく、同士を集めるマニフェストであったのかなあ。この概念はとても重要だと思うので、ヴィジョンを共有したうえで、教育・医療・農・都市計画・金融システム・地球環境の各問題はそれぞれの専門書にあたろう。第1章だけ読めばOK。