最後から二番目の長編。1973年。この時代を描写すると、長髪に長いもみ上げの男、ミニスカートにカールしたショートヘアの女性という具合に風俗が変わっている。しかし、ウルフ一族は変わらない。
ウルフの友人の精神科医が、ある男をウルフに紹介した。偽名を使いとおそうとした男は、手が血まみれになる幻覚をみてどうしてもそれから逃れられない、というのだ。策略を使って、本名と勤務先を知ると、彼の会社では、おりしも次期社長候補の争いが副社長の間で起こっている。そして、一方の副社長オーデルがライバルの副社長ブラウニングのデスクにいき、引き出しを開けたときに仕掛けられた爆弾が破裂して死んでしまうという事件がおきていた。銀行預金の残高が少なくなっていて(おりしもドルの金本位制がニクソン大統領の命令で廃止されたばかりで、オイルショックのさなか)、不安になっていたアーチーはオーデル副社長の未亡人に事件の解決をウルフに依頼しないかを持ちかける。
オーデル側にはまずいことがあって、すなわち秘書に命じてLSD(この時期には不法薬剤に指定されていたわけだ)を入手し、ブラウニングの引き出しに隠しているウィスキーに仕込もうという策略を計画していたのだ。オーデルの死んだのは、経営会議で次期社長の投票の最中で、候補者の二人が退席しているとき。当然、誰の目にもついていない。さて、上記の不安神経症(とは書いていないが)の青年はブラウニングの補佐主任(ん?一体なんの役職だ?)で、その席を狙う若者といさかいあっていた。
まあ、導入からしばらくの間は、この航空会社の経営者と秘書たちの訊問が続く。どうやらこの時代には企業は巨大なものになってしまって、1930年代のような家族的な雰囲気はなくなっていたらしい。そのために、アーチーは彼ら副社長その他の経営陣と街中で話をすることもできないし、彼らに会おうとしても電話係りと秘書の二つの関門を突破しなければならない。それは雇いの私立探偵たち(ソールにフレッドにオリー)も同じで、会社の周辺の居酒屋やスナックで立ち話をするという手が使えない。このような企業の巨大化は1920-30年代の探偵小説黄金時代のプロットや舞台を踏襲することができなくなるという危機の時代にあったのだ。さて最近のミステリー作家はどうやってこの危機を乗り越えようとしているのであろう。もはやマンハッタンには昔ながらの名探偵も私立探偵もいなくなって、企業は自前の警備員に社内捜査権を渡しているのかしら。
とにかく、事件の捜査は頓挫してばかり。それを250ページまで読むことになる。アーチーの機転で新聞に懸賞金の広告を出したら、一人の男(すでになんどもウルフたちは訊問済み)がタレこみにくる。で、急転直下の事件解決。
現代は「Please pass the guilt」で、訳すと「有罪を宣告しろ」となる(「Please pass the solt」塩を取ってくれのもじりだそうな)。パスには通すとか渡すとか、まあ他にもいろいろ意味があって、それを当てはめるタイトルも多義的なものになるそうな。そこまでは自分にはよみとれないが、上のようにどうにも探偵小説らしくないので、ちょっときびしかったかな。その代わりにマクベス夫人症」と「有罪を宣告しろ」を重ね合わせると、1970年代の近代(もう現代とはいいがたいよな)の都会の病理みたいなことに思いをはせることにもなるね。なんにしろ爽快感のない、重苦しい結末なのだ。