odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

曽野綾子「太郎物語」(新潮文庫) 冷静な頭脳(クールヘッド)はあるが温かい心情(ウォームハート)はない「よい子」が快不快だけで物事を即決し葛藤を経験しないままエリート学生になるまで。

 昭和30年1月23日生まれの山本太郎くんは、高校生。大学教授の父と翻訳家の母を持つ一人っ子。でもって、成績はそれなりに優秀(勉強している描写はなくてもどうやら上位にいる模様)、個人でするスポーツ好きで陸上部に所属し県の大会で11秒3を出して2位。クラスメイトの女の子に興味はなくても、上級生にはもてて時に身の上相談も受けたりする。途中から、考古学に興味をもつようになり、東京大学に進学できる学力を持つが、新興の北川大学に進学することを決意する。
 まあ、こんな感じ。

 勉強ができて、スポーツは県大会上位レベル、女の子にもてて、父も母も放任しているがしっかり見守っていて、ひとりの大人としてみてくれる。まあ、そういう優秀な人たちはクラスにいたよなあ。こちらがライバルと思っていても、全然届かなくて、遠くから見守るしかないような。そういうエリートコースに自ずと乗ることのできる、優等生の青春物語。
 この小説のつまらなさはたぶん二つあって
・葛藤がないこと。時代の反映をしたのか、太郎の友人には東京大学出の官僚家族がいて、子供ら三人を抑圧的に育てている。でもって、長男はあきらめ、次男はようやく「自由」を獲得するもホステスをしている女生徒の同棲が見つかって強制的に別れさせられる。三男は大学闘争に参加して、親と決別。こういう家庭を目前にしながら、太郎は問題にかかわらずスルー。上級生の女の子とデートして、家の事情で退学してカフェの女給をすることになったのを聞いてスルー。まあ、他人の家族にかかわることは慎重でなければならないし、未成年が同世代に同情して無軌道な行動を支援するというのも、ときによろしくない。そこを差し引くとしても、太郎の冷淡さは際立つ。
・太郎の行動原理が、自分の快不快、要不要でもって判断されていることかな。上記の次男と別れさせられた女性の身の上相談を聞いた時が典型だけど、太郎は女性の「身勝手さ」が問題(まあ、自分の不幸を周囲にこぼすことによって関心を集め、同情を引こうとするところあたり)として、「僕は彼女が嫌いだ」といって席を立つ。そのとき、官僚家族の冷たさとか子供の教育の仕方とか、親と子供の関係とか、身に引き寄せて考える「問題」はいろいろあるのに太郎はそれに踏み込まない。全部、彼の快不快、要不要で即決してしまう。当然、「社会」の複雑さは彼の視野に入らない。彼のような判断をすれば、なんでもすぐに解決する。なのに、他の人はそういう判断をしない/できないので、もどかしがるか不審がるかだけ。経済学の言葉で「冷静な頭脳(クールヘッド)と温かい心情(ウォームハート)」がある。太郎くんには前者はあるが、後者が欠けている。
・というのも、太郎は手で仕事のできる人であって、料理・家事・釣り・土器探しなど体と手を動かしてする仕事を幼いころから身につける。そのうえ、要領がよいので、あっというまに他人の標準を超えてしまう。その延長には、卒業後の進路も自ずと明確になり、その目標達成のためのルートができる。そのルートに関係ないことは、彼の「問題」ではなくなる。
 親からすればこんな子供が手間をかけずに育つとなると、うれしいだろう。楽だろう。そういう子供がいることもあるだろう。とはいえ、ロールモデルにはならない。進学校のさらに上位の一握りの人々には通用するが、他の人にはほぼ無関係な生き方だ。この作家は教育政策にかかわっているようだが、すべての子供が「太郎」のようになることを望んでいるのではあるまいな。
 その太郎くんも2013年で58歳。さて、高級官僚から天下りで悠々自適か、早期退職して田舎で自活しているのか、それとも1990年以降の企業や公共機関のリストラにあっているのか。はてさて。
 1973年初出で、「大学編」もあるが、そこまで付き合っても得るものはないと判断し、読まないことにした。