odd_hatchの読書ノート

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開高健「知的な痴的な教養講座」(集英社文庫)

 1987年あたりに週刊プレイボーイに連載されたエッセー。この雑誌は軽薄でありながら、ときに知的エンターテイメントを登用することがあり、著者とか小田実とかそういう進歩的知識人(死語だな)の連載があったのだった。

 一回せいぜい5から8枚と見える短い作品。それが120回なので、2年半にわたる連載となったのか。とりあげるのは、酒・食・衣・文具・本・釣り・猟・旅行・歴史・文学・人物・性・女・男・老人・出生・戦争・焼け跡・銃・映画・観念・平和・CM・経済・社会主義・資本主義と森羅万象にわたる。部屋にいるときは万巻の書を紐解き、ひとたびフィールドに出るや精力的に動き回る著者の経験・追想・感想・記憶などが虹のごとく絢爛と、しかもあっさりとしながらふっくらとした読後感を誘うように書かれている。もちろん、彼の長年の愛読者であれば、このエッセーに書かれたものはすでにどこかにかかれたものであることはわかっている。そういう点では、素材は二番煎じ・出がらしの感もあるのだが(1965年2月14日、ベトナム戦争中のDゾーンで200人中17人しか生還しなかった戦闘の話など)、そんなことを思わせもしない手腕はみごと。この週刊誌の若い読者が、著者の古い本に親しんでいるとは思えず、そういう点は著者も気軽であったのだろう。
 時はバブルの時代で、たしか毎年著者のでてくる国産ウィスキーのCMが流れていたと思う。舞台はマンハッタンであったり、アラスカだったり、ブラジルの奥地であったり、モンゴルの平原であったりした。その場所に行くことは簡単ではないかと反発心をもったりもした。なぜかというとこの国の繁栄はただ事ではなく、この国の人間であると発すればすべての国がひれ伏すのではないかとそんな錯覚を持つような気分というか雰囲気でもあったから。このエッセーにただようおおようさというのも、時代の反映であるのだ、と懐かしく読んだ。
 潮吹きが話題になっていて、これは一般に膾炙される端緒になったのではないかな。1950年代の「百万人の夜」のころから事例報告はあったものの、あたかもネス湖ネッシーのような疑いと信じたい気持ちが交錯していた。連載当時のAVでは小さなジャンルとしてあったと記憶していて、そのころ実演できる人はごく限られていた。いまでは当たり前のテクニックになってしまったなあ(なにが?)。