odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

都筑道夫「退職刑事5」(徳間文庫)

 初出は1996年。このあと急激に創作が減るから、晩年様式をもった短編集といっていいのだろうな。創元推理文庫では「退職刑事6」なので注意してください。あとがきによると、「退職刑事4」(創元推理文庫「退職刑事5」と同じ、ああややこしい)で計画していた長編は企画途中で放棄。その代わりに、短編連作にすることにして、できるだけこれまでの設定を壊すような話にしたとのこと。

「つまらぬ事件」(1992) ・・・ 引退した実業家が自宅で刺殺された。発見した息子に「さされた、飯岡のせいで」と言い残す。当の飯山は旅行中でアリバイがあった。借金をしていたから動機は申し分ないし、事業は息子夫婦に渡して安穏と暮らしていたし。いくつかの証言で、被害者のもう一面がわかり、そこから事件の謎を解く。タイトルは別の作家にありそうで、思い当たらない。

「桜並木の一本の桜」(1992) ・・・ タイトルは木々高太郎から。旅行中の椿先生から長い手紙が届く。温泉旅館で入浴中に失踪した若い女性がいた。脱衣所には浴衣に下着が残されていた。失踪した女性は気にそまぬ結婚を強いられそうで、それに反対できなかったのでこんなことをしたのでは、と証言する。現職さんの語りではなく、手紙で推理するのが趣向(まあ古い探偵小説にはよくあった)。露天風呂で起きた事件というと「最長不倒距離」があるので、あわせて読む様に。

「死は木馬にのって」(1993) ・・・ タイトルはたぶん横光利一「春は馬車にのって」から。3年前の女房を殺された敵、という理由で福駅から出所してきた男が殺人を犯した。3年前の事件では、殺された妻が三春駒をもっていて、それがヤクザを示しているから、というのだが。えーと、人間関係が頭にはいらなかったので、よくわかりませんでした。ダイイングメッセージは小説ではありえても、現実ではありえないというのだが、こちらの「自然」な解答もそろそろ理解できない人が生まれそう。

「拳銃と毒薬」(1993) ・・・ 昔の映画の「毒薬と老嬢」からだな。殺人犯を追いかけて廃工場に追い詰めたら、拳銃で逆襲されてしまった。現役さんは足を撃たれて入院。その後の捜査によると、捕まえた容疑者は別の殺人事件(毒殺)の容疑もあるが、拳銃発射以外は認めていない。そのうちに警察から脱出して行方不明に。その事件を退職さんに聞かせたら、なぜか聞き込みに出かけて、容疑者の脱出には警察内部からの情報漏えいがあるのではと不安になると、上司が見舞いに来て・・・ まあとぼけた話。このあとも短編は書かれたが実質的にはこれがシリーズの打ち止め。年を取らないキャラクターを退場さすには、こういうオチもありかな。最後に収録したら、怒り出す人がでそうだ。

「耳からの殺人」(1994) ・・・ 椿先生のところに、男の電話があって、いたづら電話越しに殺人を聞いてしまったという。あいにく相手の名前も電話番号も覚えていない。出来事をきいておいて、退職さんに相談した。すると、犯行場所、被害者、犯人の名前まで推理してみせた。こりゃ、すごい。要領を得ないようなあいまいな会話から事件を再構成するのだもの。ケメルマン「九マイルは遠すぎる」、ポオ「モルグ街の殺人」(のうちどこのものかわからない外国語の謎)に匹敵しそうな仕掛け。

「馬の背」(1990) ・・・ タイトルは、江戸の夕立はきっぱりしていて馬の背の片方が濡れていてももう片方は濡れないという故事だそうな。夕立のあと、マンションのベランダで全裸で仰向けの女性死体がみつかった。容疑者は女性と付き合いのある男で、女の持ち物のTシャツとジーンズを持ち出していた。しかし、この事件を追いかけるフリーライターはそうではないと言い出す。椿先生が相談してみたら、退職さんは自分の手がけた古い事件の話を始めた。一話に二つの事件というぜんたくな一編。

「針のない時計」(1995) ・・・ マッカラーズに同じタイトルの長編小説があってだな、本作とは何の関係もないけど。マルチタレントの女性(作詞、絵本、エッセーなどなど)の女性が死んでいた。推定死亡時刻の前に、情夫とパトロンと遊び相手のおとこがそれぞれ訪問している。結局、男はみんな逃げ、死体は翌日マネージャーの女性が発見した。一方、裏の家では80歳の独居老人が手首や顔に引っかき傷をもち、頭をうって死亡している。さて何が起きたのでしょうか? 事件のプロットは単純なものだが、その提示の仕方が入り組んでいるおかげで錯綜した謎になりました。

「昔の顔」(1995) ・・・ 椿先生が知り合いを連れてきた。スナックを経営しているが、5年前に殺人を犯したことを告白し、刃物を振り回した男が気になっている。つい最近みかけたからだが、そのような事件は起きていないだろうか。名前も住所もわからないけど。退職さんはその話をきいただけで、姓を割り出す。めずらしく、退職さんは街に出て、聞き込みをして、現職さんの先回りをしていた。ここはストーリーを楽しみことに徹するのがよい。退職さんは足が弱ったと書いていて、それでも事件を聞くことに意欲をもっているが、ここで退場。お疲れさまでした。


 最初の短編が1973年で、最終話が1995年。23年も同じキャラクターにつきあっていたことになる。最初のころは、現職さんのほうが生き生きとした描かれ方だったけど(備忘のために、五郎、妻は美恵という名前だったことを記しておく)、時間を経ると退職さん(ついに名前は明かされなかった)のほうが生き生きとしてきた。それは作者の年齢にもあって、始まりのころは現職さんと退職さんの中間あたりだったのが、この刊になると退職さんと同じくらいの年齢になっている。自分の体験(昔の事をよく覚えている、話が脱線する、など)が反映されているからだろうな。ホテル・ディックシリーズでも老人たちの存在感が際立っていたし。そういう老人文学でもあるのわけ。
 あとは、アームチェア・ディテクティブの設定をいかに逸脱するか、という実験に注目。話しを聞くだけ、現場はみないし、関係者と話をすることもない、物証もみない、伝聞情報だけで推理する、関係者は何人いてもよいが会話の人数は少ないほどよい、あたりが安楽椅子探偵の設定になるのだろう。そのしばりでいろいろやってきた(泡姫シルビアシリーズも同じ設定)。20年たつと、キャラクターの枠は同じにして、小説の設定をいかに壊そうかというのに興味をもっている。話者をふやしたり、情報を小出しにしたり、結末をあいまいにして読者の想像力を喚起させたり。通常「退職刑事」シリーズは純粋推理小説であるという紹介がされるけど、それだけではないよ、小説の枠組みを壊したり、探偵の役割を変化させたり、といろいろな実験が行われている意欲作なのだ、と自分は考える。

2013/07/19 都筑道夫「退職刑事」(徳間文庫)
2013/07/18 都筑道夫「退職刑事2」(徳間文庫)
2013/07/17 都筑道夫「退職刑事3」(徳間文庫)
2013/07/16 都筑道夫「退職刑事健在なり」(徳間文庫)
2013/07/12 都筑道夫「退職刑事4」(徳間文庫)