odd_hatchの読書ノート

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ギルバート・チェスタトン「ブラウン神父の童心」(創元推理文庫) 神父、上流階級を観察する

ブラウン神父ものの第1作。1911年初出。当時チェスタトンは37歳(1874年生まれ)。

青い十字架 ・・・ ブラウン神父はサファイアのついた十字架を運ぶ使命を持っている。それを大怪盗フランボウが狙っている。フランボウは190cmもある大男。小男と大男の神父が神学議論をしながら、道中を進む。小男の神父は町中で問題を起こしてばかり。フランボウを追うパリの探偵が奇妙な二人ずれに目をつけ、あとをつける。神父はフランボウの意図を見抜いていた。神父の奇妙な振る舞いがいずれも合理的な意図をもっていることがわかる。表層はここまで。不思議なのは神父がつれに疑惑を持った理由が彼が理性を攻撃したからだって。前半ではフランスの合理主義(場合によっては戦闘的無神論にまで到達する)を批判的に紹介していて、神父=作者の矛先はデカルトディドロあたりとみたのだが。

秘密の庭 ・・・ 探偵ヴァランタン(青い十字架に登場)がパリの自宅に外交官や軍人、富豪などを招待する。この家の庭は四方を囲まれ、召使が管理していて秘密の出入りは不可能。その庭に見知らぬ男の死体が発見される。恐ろしいのは死体の首が切断されていること。どうやって庭に入ってきたのか不明。あやしげな宗教団体に寄付する奇特なアメリカ人は失踪。後に彼の切断された首が屋敷の近くでみつかる。まあ近代捜査ではこのトリックは不可能なのだが、ブラックすぎるユーモア感覚が印象的。カーもバリアントを使っているね。

奇妙な足跡 ・・・ 上流階級の面々だけが会員になれる高級クラブ。そこでは12人の客に15人の給仕がつくというシステムになっていた。さてその給仕のひとりは死亡したので、神父が呼ばれる。報告書を書いている時かれは奇妙な足跡、ゆっくりと鷹揚なものと、せっかちで速足のそれ。同一人物が繰り返しているよう。それを聞いて神父が盗難事件を未然に防ぐ。ここには、上流階級とある種の職業は外見上区別できず、互いに互いを無視するというパラドックスがある。ニーチェの奴隷と主人の比喩を思い出した。

飛ぶ星 ・・・ タイトルは多数の盗賊に狙われている有名な宝石。それを所有する富豪のところに弟や近隣の人々が集まり、カナダ人がコンメディア・デ・ラレテかパンチとジュディかの道化芝居をやろうじゃないかともちかける。警官の服がないので、知り合いに持ってくるように頼み、警官が登場して大立ち回りのコメディが演じられる。その直後、宝石が盗まれたと富豪の悲鳴。ここでも大切なことは見えていても気づかれないというパラドックスが主題。

見えない人間 ・・・ 若い娘に求婚した二人の男。断られたので、成功したら再度求婚するという誓いを立てて村を出る。それから数年、二人は成功して帰ってきたが、今度は娘に脅迫状が届けられる。誰も出入りしていないはずなのに窓に貼られているのだ。雪の日、二人の求婚者は家にこもっていたが、一人は中で殺され(部屋の中には彼の発明である自動人形の姿が!おお「黒死館殺人事件」)、一人は近くで刺殺される。家の周囲にいた人はだれも出入りしていないと証言。でも雪の上には足跡が残っている。神父は心理的に見えない人間がいるという。イギリスで書かれたことを考えると、見えないというのは心理的な思いこみであるのと同時に、社会階級の問題でもあるな。のちにアメリカの黒人作家ボールドウィンが同じタイトルの社会派小説を書いている。

イズレイル・ガウの誉れ ・・・ グレンガイルという吝嗇な貴族の館。そこにはつんぼの下男一人が住んでいる。神父とフランボウが訪れると、屋敷跡の中には裸のダイヤ、取り出された嗅ぎタバコ、切り取られた聖書があり、蝋燭たてがない。主人の墓を掘り出すと、頭蓋骨がない(ゴシックロマンスの教科書とおり雷鳴と豪雨の中、深夜に作業する)。何が起きたのか。神父は奇妙なものの関連を説明するいくつもの仮説を提供する。

狂った形 ・・・ ゴシックロマンス風の怪奇小説作家が温室の中で異常事態にあるのが発見された。飛び込むと、インドの奇妙な形の短剣が胸に刺さっている。傍らのテーブルには遺書と思われる文が書かれている。誰もが自殺と考えたが、神父は遺書の四方がおかしな形に切り取られていることに注目する。ふたつの既に考案すみのトリックも、組み合わせて使えば新しい意匠の物語になる。チェスタトンはこのトリックを気に入ったのか何度か別の作品にこねくり回した。

サラディン公の罪 ・・・ サラディン公爵は冒険家。由緒正しい家柄の出。しかし問題はその弟で、こちらはならず者。波風を立てては兄に金をせびる。さて、あるとき公爵の敵を討つというアントネリーがやってきて、公爵に決闘を申し込んだ。もちろん公爵は復讐者の手にかかるのであった。そのような顛末にもかかわらず、公爵家の第一執事は満ち足りた表情で夕食をとった。江戸川乱歩が狂喜しそうな仕掛けがあって、やはり見た目で判断すると、思い込みに飲み込まれますよ、という次第。

神の鉄槌 ・・・ 謹厳な大佐が頭を割られて死んでいる。かたわらには小さなハンマーがひとつ。そこに被害者の血と髪がついているからこれが凶器であるのは明白。でもあまりに小さすぎる。なので、鍛冶屋の大男と狂人が容疑者になったが、どちらにも鉄壁のアリバイがあった。まあ、近代捜査ではこのトリックは不可能なわけで・・・そこにフォーカスするのではなく、作者の記述の周到さに驚くべきなのだろうな。死体を発見したときには「それ」は一切描写されず、袋小路に陥ってから「それ」の存在が書かれたのだった。その描写の差異を埋めるのが、神学論議。ま、このカソリック作家は、ヴェイユのようにわれわれを縛り付けるものを考えてはいないようではあるが。むしろ高くのぼることが人間を傲慢にするのだ、ということか。高さとは人格が上るものでもあるし、単純に上昇することでもあるし。

アポロンの眼 ・・・ 太陽崇拝の新興宗教を立ち上げた男が日課の儀式、正午に太陽を直視して祈祷をささげること、を行っている。そのとき、悲鳴が聞こえ、この宗教のグルの愛人がエレベーターから落下して絶命した。この愛人は50万ドルをグルに相続する遺言を書いていたのだが、それは途中で文字が消えていた。これはうまいなあ。二つの重大なトリックをこの短い短編に集約するという仕掛けといい、神父が謎を解決したきっかけといい。

折れた剣 ・・・ 英国の老将軍は兵の消耗を回避する賢明な策をとることで有名だった。しかし、その最後の戦いではなぜか無謀で強引な作戦を選び、甚大な被害をもたらすことになった。しかも、将軍は捕らえられ、汚濁にまみれたリンチまがいの刑死を遂げている。一方、戦い相手の大統領は捕虜に寛大であることで有名であったが、このときばかりは将軍にひどい刑罰を与えた。それはなぜか。このような内容よりも、冒頭と途中で真実を開示する直前のアフォリズム、ないし寓話のほうが有名だな。江戸川乱歩のエッセイで詳しいので、そちらを参照のこと。
 堀田善衛「橋上幻像」から

「じゃ人間の屍体は(かくすのいちばんいい場所は)?」/「・・・・・」/「それがむずかしい。先程の例から言えば、墓場がいちばんな筈なのだが。」/(略)「人間の屍体ほどにも始末におえぬものはない」/(略)「人間は人間をかくすことは出来ない、たとえそれが屍体になっていても、かくすことは出来ない、ということなんだ。それが出来るのは、神、だけだ、ということの暗職なのだ。神様だけがわが手におさめうるという……(P71)」

三つの兇器  ・・・ 朗らかな慈善家でテーブルスピーチの名手が首の骨を折って死亡した。足にはロープがまとわりついている。死亡の原因は塔のてっぺんにある部屋から飛び降りたことによる(それを神父は「重力が凶器」という次第)。部屋にはロープ、ナイフ、ピストルがあり、それのいずれもが何かに使われた形跡がある。なのになぜ、これらの凶器を使わなかったのか。ここでも見た目でものごとの説明をしては間違えるという教訓がある。カーが「四つの凶器」でもって、この作に挑戦(したとのこと)。


 ブラウン神父譚をこうして読み返してみると、上質でハイブロウなユーモア小説なのだなあ、という感想。死体を見つけたり、失踪者があらわれても、さほど動転することがなく、みんなで喧々諤々の議論をするし、機知に皮肉に箴言に引用にと登場人物の会話は知的な人たちのそれ。上記のようなストーリーを別の人が書いたら、荒唐無稽、現実感なし、人形じみた人物、作者の御都合主義、現代のおとぎ話と散々な評価を受けることだろう。そうならないのは、ひとえにチェスタトンの文体に秘密があって、目の積んだ緻密で詩的なイメージを醸し出すファンタジーのそれであるから。文体が現実離れしているので、そこに起きることや解釈が現実放れのぶっとんだものでもOK。まあ、翻訳でそんなことを言っても仕方ないのだが。同じような凝った文体でファンタジーを書いた人に、マーヴィン・ピークとかデイヴィッド・リンゼイ、ロード・ダンセイニなどがいて、そういう系譜にある作家なのではないかな。人生に対するユーモアや皮肉な視点は、職業が僧正であるロアルド・ノックスに似ている。ホームズやソーンダーク博士のような探偵小説初期の書き手や、クイーン・ヴァン=ダインら1920年代の黄金時代の書き手とは違う所にいる人。
 江戸川乱歩によるとトリックの創案率が極めて高い、ということになっているのだが、上のサマリーをみると、人の錯誤とか思い込みとか、認知バイアスとか偏見とか、そのような判断の問題のバリエーションがある。この種の思い込みとかドクサとかを克服する方法として科学的思考が生まれて、一般的になっていったと自分は考え、科学的思考法に信頼を寄せるのだが、チェスタトンカソリック神学でもって克服できると考えているみたい。むしろ、科学者や日常生活者の素朴な自然観察では人間の心理を図ることはできないといいたそうだな。冒頭と2番目にでてくるパリの探偵ヴァランタン(外見はリュパンで、方法はルコック氏)の失敗はそこらへんなんだよといいたそうだ。
 多少は物理トリックに近いといえる「神の鉄槌」でも、その創案はとりたててユニークなわけではない。そのことより、なぜそのトリックを人は実行するか、ということの考察のほうが神父には重要。近代の自我は自由や権利の根拠というか、それらを欲望するエネルギーになっているけど、かわりに個人主義の先には神に代わろうとする傲慢さがあるとでもいうのか。そこを19世紀人はジェントルという徳で制御してきたが、20世紀の貨幣価値で評価する資本主義ではそのような徳がない。そこと自我があわさって「事件」が生まれる、というような。


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