2386年では徴兵に応じたものは過去一年間の記憶を消されることになっていた。しかし、今回応募したウォーレン・ピース(この名前の由来は笑える)は施術に失敗したのか、過去すべての記憶を失ってしまった。まっさらのタブラ・ラサの状態でいきなり兵士になってしまった。臆病なピースは脱走することを考えるが、すべての命令に忠実に従う施術も同時に施されてたために、心とは裏腹の行動をとらざるを得ない。しかも新兵教育はたったの一時間で、即座に別の惑星に派遣されることになった。なぜ自分は新兵の募集に応じたのか、自分はいったい何者なのか、なにか特別な使命をもっているのではないか。ピースは自己発見、自己回復の旅に出ることになる。すんなりと旅が運ばないのは、記憶と同時に、過去の自分を想起させる証拠を持っていないことで、いっさいの手がかりがない。ほかの新兵が新たな境遇にしっかりと適応し、慣れていくのに対し、ピースはぎこちなく世界と対面し、局面ごとに整理しなければならない。そのような手続きはわれわれ読者が「現実」において世界を認識する方法と同じなのであり、滑稽でありながら、悲惨そのものであるピースの旅路はわれわれ読者のものなのである。
というような大人の物語もあるのだが、表層に現れるのは滑稽でグロテスクで間抜けなドタバタ騒ぎ。たった一回レーザー銃を発射しただけで終わる新兵訓練、歩くたびに脱げるブーツ、一回に200メートルしか進まないワープ航法の宇宙船、指示通りには決して働くことのないタイムマシーン。惑星戦争においても派遣先は、煙草ににた草が繁茂していて空気が葉巻の匂いと煙を立てているという場所だったり、「不思議の国のアリス」「ポルノ惑星のサルモネラ星人」めいたカバン語の生物@不思議の国のアリスが人を食うところであったり。ここらのガジェットと設定が素晴らしい。
いったいピースという人間は善良ではあっても、人に迷惑をかけずには旅のできない男であって、しょっちゅう転び、服が破れ、事故に会ってけがをし、バーテンや給仕といさかいを起こし、映画に入ればこましゃくれたガキに痴漢扱いされるという具合。あげくのはては、レストランで食い逃げをする結果になり、逃げ込んだ先の女子トイレで94年前にタイムスリップ。そこにいたのはマッドサイエンティストに、いかつい男の娘(おとこのこ、とお読み)。ピースはいつもオスカーと呼ばれるロボットのようなアンドロイドのような巨体のクリーチャーに狙われる。こいつは神出鬼没で、ピースの生き先々で待ち構えている。ときには惑星間飛行船の外壁にとりついて地球突入を敢行する。
あたしゃ、モンティ・パイソンのギャグの数々を思い出しましたよ。何をするのかはっきりしないモラトリアムの男が状況に巻き込まれて、ドタバタ騒ぎを起こすというのは、「ライフ・オブ・ブライアン」だよな。1931年生まれというからモンティ・パイソンの連中より先の生まれだが、この作者のギャグの感性は連中に似ているね。その分、この国では受容されにくそう。読み手に教養がないと、作家とパイソンズのギャグは理解しにくいし、読者と観衆がモラルとマナーをしっかり持っているから、アンモラルでふしだらなギャグを笑えるのだし。
さて、タイムマシーンで過去に飛ばされたピースは、いかつい男の娘(おとこのこ、と読んでね)にむしゃぶりつかれそうになって、もう一度タイムスリップを起こす。飛んだ先は、ピースが入隊する2日前のこと。そこで、ピースは志願兵の受付窓口近くのスナックにねばり、「自分」が応募するのを待つ。そこで彼を待っていたのは・・・
タイムマシーンによるパラドックスを使いながら、すこしずらした設定にし、これまでのピースの遍歴(そう、これはヴォルテールの「カンディード」のSF版なのだ)の奇妙な出来事がピタピタとひとつの構図に当てはまり、大きな絵になる。ああ、ここらへんはミステリの大好きな英国人だなあ。全部で230ページという短い長編か長めの中編というところだが、このくらいのサイズでスピーディにまとめる手腕はたいしたもの。もっと他のも読みたいけど、入手難。サンリオSF文庫で何冊か翻訳されたが、ハヤカワや創元推理文庫で復刊されたのはなかったのじゃないかな。ここらへんもったいない。1977年初出。