odd_hatchの読書ノート

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アレクサンドル・ソルジェニーツィン「イワン・デニーソヴィチの一日」(新潮文庫)

 シューホフはマローズ(厳寒)のなか、目を覚ます。考えているのはこのまま毛布に包まっていること、食料をたくさん手に入れること、昨日残したパンをいつ食べるかどうやって盗まれないようにするか、などなど。班長の起床の合図でバラックを抜け、朝の点呼(今朝の気温は零下30度に達していない)を受けて、朝飯にいく。薄い粥と野菜汁と一日300gのパン(季節と仕事次第で配給量はひどく異なる)をゆっくりとかみ締める。手先が器用なのでスリッパなどを作って現金やタバコを手に入れられるのが彼の強み。

 朝食後はすぐさま再点呼を受けて、労働場へいく。今日は作りかけの工場の組み立て。零下30度の寒風を防ぐために、別の班に割り当てられた壁紙を盗む。配給の鏝は出来が悪いので、シューホフは仕事場に隠しておいたのを使う(もちろんいつか盗まれるかもしれない)。暖炉ができてまきをくべる(もちろん別の作業場の資材を盗んだものだ)と少しは暖かくなる。なにしろバラックには氷柱が垂れているくらい寒く、頻繁に点呼で起こされるので彼らは睡眠不足なのだ。シューホフはキルギス人と組んで壁のレンガを積み上げる。彼は熟練した職人で、そのために班でも一目置かれている。しかし重要なのは個人の資質もさることながら、どれだけよい班長の元にいるかだ。班長の資質によって、仕事の割り当てや評価、食事の配給量も変わる。班長も組織を維持するためには、差し入れを独占するわけには行かない。周囲にうまく配分し、ときには買収に使わないといけない。それをなまると、囚人から袋叩きにあうだろう。単調ではあっても、自分にしかできない仕事が割り当てられていればシューホフもほかの仲間も熱心に働く。もちろん、班単位で作業成果が評価され配給その他に差がつくとなれば、ふてくされてサボタージュをしているわけにはいかない(この班制度と集団のノルマ、連帯責任という制度は、スターリンの作ったものだ)。
 シューホフは今日は優れた働きで、昼食二人分を食べることができ、夕食のパンを別の囚人からもらうことに成功した。エストニア人から購入したタバコは良質のもので、作業場で見つけたナイフのかけらは点呼で見つからなかったからあとでしっかり研いでおけば内職に使えるだろう。こういう日が3653日続いた。閏年のために3日増えたのだった。
 シューホフは1924年生まれで戦車乗りとしてドイツ戦線に配属された。一度ドイツ兵に捕まったことからスパイ容疑に問われ(修正憲法だったか刑法のために裁判不要)、10年の刑期になる。すでに8年を経過した古参囚人だ。彼は希望や期待を持たない。いつか釈放される無実がわかると考えると、それが覆されたときに失望を生み、生きる力を失わせるから。また、世俗の肩書きを持ち込んではならない。囚人にあるとき世俗の世界で何をしたかは評価に値しない。収容所で役立つことができるか、それだけが重要なのだ。こういうきわめてプラグマティックな考えを持たないと収容所では生き延びることはできない。「中佐」など世俗の権威を捨てられない囚人もいるが、いずれ挫折するだろう。
 こういう非人間的な世界が描かれているのだが、一気に読み通せるのは、シニカルで皮肉な笑いが随所にあるからだろう。あとは食に対する貪欲な欲望とその描きかたかな。水のような「野菜汁」とかコーリャンで作った塩気すらなさそうな「粥」、肉ではなく骨をしゃぶる、そんな食事がなぜかとてもうまそうでご馳走のように思えるのだ。収容所がそんな場所でないことは、もっとシリアスな「収容所群島」を読めば一瞭然。にもかかわらずこのようなユーモア文学として書かれたのは、いくら「雪解け」時代でもシリアスで悲劇的な収容所を描くことが不可能であったことと、それこそドストエフスキー死の家の記録」があるからだろう(なにしろ「収容所群島」の登場人物は「死の家の記録」の収容所にあこがれるのだ。食事がパンとソーセージだけだということで)。
 さて、この本は独立して読むだけでなく、ほかの収容所文学と一緒に読むべきだろう。高杉一郎「極光のかげに」「スターリン体験」フチーク「絞首台からのレポート」、フランケル「夜と霧」。必読は「フレシチョフ秘密報告」。少し見方を変えて大岡昌平「俘虜記」野間宏「真空地帯」などなど。そして20世紀が未曾有の「収容所」と大量死の時代であったことを想起するべきだろう。