ロストロポーヴィチとヴィシネフスカヤの夫妻のインタビュー。はっきりかいていないが、1978-81年にかけて行われた複数のインタビュ―のまとめと思う。1983年初出で、翻訳は1987年。これらの年は重要なので、あとで振り返る。
ロストロポーヴィチは1927年アゼルバイジャンの生まれ。モスクワ音楽院で勉強し(ショスタコービッチやプロコフィエフらに学ぶ)、チェリストとして活躍。1950年代後半の「雪どけ」の時代から国外の活動が盛んになった。リヒテル、ギレリス、オイストラフと並ぶロシアの名演奏家。ヴィシネフスカヤは1926年レニングラードの生まれ。ロマの血をひくという。1941年からのレニングラード攻防戦を経験。解放後、オペレッタ劇団に参加。研鑽をつんでボリショイ歌劇場のプリマ・ドンナになる。旅行が好きではないらしいので、しばらく活動はソ連国内に限られた。このような有名演奏家の夫婦であり、ソ連の文化省の後援もあって、順風漫歩の生活。一転するのは、1968年作家同盟を除名されたソルジェニーツィンを別荘に招いたことから始まる。彼ら夫婦は政治的ではなかった。しかし、ソルジェニーツィンをめぐって当局の干渉が強くなると、権力に抗するようになる。1974年にソルジェニーツィンは国外追放。1974年夫婦が海外公演に出かけたのち、ソ連は市民権をはく奪、国外追放処分とした。そのあと居住をパリに移し、ロストロポービッチがワシントン・フィルの常任指揮者となってからアメリカに亡命した。このような波乱万丈の生活を送ったのである。
クラシックマニアとしては、彼らの語るさまざまなエピソードが楽しい。上記のソ連の作曲家に加え、ハチャトーリアン、フレンニコフその他のソ連の作曲家(この本に名の出てくる作曲家の作品はメロディアのLPやCDで聴くことができたから、集めておけばよかったなあ)。他にもブリテン、バーンスタイン(この人はロストロポーヴィチの1978年の出国に便宜を図ったらしい)など。まだ小澤征爾とは出会っていない。
それにくわえ、彼らの音楽観。楽器の進歩に応じて楽譜に手を入れるのは認められる、楽器の進歩があるからピリオド楽器は意味がない、楽譜と自己を対峙することによって音楽の本質はおのずと現れる、伝統にとらわれるのはだめ、他人の演奏は自分の解釈がはっきりしてから聞くように、あたり。19世紀にあるような古い考え方の持ち主だった。この二人は、自己主張が強く、こと芸術にかけては他人の指示を受けることが大嫌いな様子。とくにヴィシネフスカヤは女族長メイトリアークのような破天荒で、巨大な感情の持ち主。自分の感興のまま自己表現するのであって、すこしでも反対や障害があるとヒステリーのような反発をする(本人がそういっている)。共演者への評価も辛辣で、メリク=パシェーエフ死後にボリショイ劇場を継いだユーリ・シモノフを無能・党のご機嫌取りと罵倒。このあたり、彼らは神話の登場人物にふさわしい。
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(自分が小心翼々としているせいか、どうも彼らの演奏はあまり受け入れられなくて、アルペジョーネ・ソナタとショスタコーヴィチ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」、ブリテン「戦争レクイエム」くらいしか聞いていない。ロストロポービッチのバッハ無伴奏チェロ組曲はもっと若くてテクニックが万全のときに録音してほしかった。指揮者としてはプロコフィエフの交響曲全集が「派手さは無いが、端正な演奏で録音もいい」そうなのでいつか聞いてみよう。)
さて、この本の中で、興味深いのは「画一趣味の体制で」の章。そこでは、ソ連の監視と統制の社会を紹介している。すなわち、恒常的な物不足、果てしなき行列、組合活動参加の強要、強制されたマルクス主義教育、候補者が一人しかいない投票率90%超えの「民主」投票、絶え間ない密告、警察や組織内保安部からの呼び出し、国内移動の不自由。一方の官僚の腐敗(賄賂、特権の行使、恣意的な人事など)も暴露。ソルジェニーツィン「ガン病棟」に書かれたこれらの事例は1955年の出来事であったが、それは1970年代にはいっても継続していたのだった。この時期には計画経済の不合理さと生産性の低さがあって、ソ連の生活は低落するばかり。その時に、社会批判に声をあげた作家と、それに共感した芸術家がいた。これはヴォネガットの「カナリア理論」の事例になるかな。もちろんすぐさま権力は彼らをスケープゴートに仕立て上げようとするのだが、1930年代と異なるのは情報が西側(懐かしい言葉)に漏れ出ること。すぐさま西側諸国の抗議があり(まあ、反共運動に使われもしたのだ)、国内でも反抗の芽がある。ソ連としては、ハンガリー動乱、プラハ制圧、ポーランド叛乱などがあり、むやみに暴力を使えない事情もあったのだろう。そこが変わるのが1984年のゴルバチョフの大統領就任。「ペレストロイカ」の民主化で状況が変わってきた。この本の翻訳が1987年なのも、その反映とみてよい。ロストロポーヴィチは1990年に凱旋公演で帰国し、国籍が復活する。後、1991年のベルリンの壁崩壊のとき、いち早くベルリンにいき、記念演奏会を開いたりもした。
注目するのはこういうことかな。もともと彼らは政治的ではなかった。たんに芸術の自立と表現の自由を漠然と考えていた。変化は自分に理不尽な要求と不当な圧迫が来てから。そこにおいて、自由を実現するための運動家となる。その決断において感動するのは、その行動をするときに、自分が不自由になることを受け入れること。あるいは自身の所有を失うことをためらわないこと。その「飛躍」がなかなかできないものだから。自分におきかえてそれが可能かとかんがえてみる。このとき、ロストロポーヴィチ夫妻はほかの国の支援を受けることが可能であったとか、国外に追放されても仕事をすることができるとか、種々の特権を持っているとか、そういういちゃもんをつけることができる。そうかもしれないけど、一方で影響力を持ちながらそうしない人たちもいたわけだし(この本ではショスタコービッチを指弾)、声明を発することなく突然亡命する人もいたり(キリル・コンドラシンとかギドン・クレーメル、ウラジミール・アシュケナージなど) したわけだ。そのなかでは自由を希求する声がもっともよく響いた人であったことに注目。
<追記 2020/5/7>
本文では、ボリショイ劇場の音楽監督はメルク=パシャーエフからユーリ・シモノフに交代したように夫妻は語っていたが、調べたら間にスヴェトラーノフとロジェストヴェンスキーが挟まっていた。ロストロポーヴィチ夫妻の批判はインタービュー時現在の劇場運営者に対してのものだった。
ja.wikipedia.org から。
<追記 2015.02.28>
ムスチスラフ・ロストロポービッチの演奏する楽器は、Duport Stradivariusです。
Duport Stradivarius - Wikipedia
↓ から来た人用メモ
http://1bantamaru.seesaa.net/article/414788599.html