odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

荒俣宏「開かずの間の冒険」(平凡社)

 全国の蔵を開けて覗くという贅沢な冒険。当主自身ですら数十年足を踏み入れていないという場所をみるというのであるから。

訪れた場所をリストアップすると、
南方熊楠 ・・・ ブリタニア百科事典のそろいと、キャラメル箱やマッチ箱にはいった粘菌標本。
泉鏡花ゆかりの蔵 ・・・ 子授かりの願掛け。小京都の繊細な織物
伊吹もぐさ屋 ・・・ 巨大な福助人形!
熊本武士 ・・・ 明治に生きた「武士」の生活と古武具。
江戸川乱歩 ・・・ 作家の収集癖と編集ぶりに驚嘆。(この本とあわせて「悪人志願」「幻影城」が必読)
伊豆鏝絵の蔵 ・・・ 蔵の外装や扉など目に立たないところに金をかける蔵主の洗練されたしかし高価な趣味。
山形旧家 ・・・ 荘園時代から続く地方名家に蓄積された富。土蔵破りとの攻防が愉快。
日光例幣使街道の見せ蔵 ・・・ 商家がまず店と蔵(在庫置場)に金をかけ、住処はあとまわし。資本を蓄積する執念。
掛川鉄砲店の蔵 ・・・ 明治の鉄砲鍛冶が築いた蔵。ここでは女性が家を切り盛りし、店を拡大していったという所にちゅもく。なるほど武家社会では女性は蔑視されたいかもしれないが、家の中では実務を担うことで男より大きな決裁権をもっていたのかもしれない。
東京質屋の蔵 ・・・ 着物、時計、宝石の目利きになる方法について。
庄内発明家の蔵 ・・・ 江戸末期から明治にかけての博物学者の蔵。この時期、東北が意外と外国の技術導入を進めていたことを想起。
小樽卯建のあがった蔵 ・・・ ニシン御殿。昭和の初めころまでは、小樽はモダンな先進都市であった(この本では触れられないが、1920年代には小林多喜二伊藤整吉田秀和などが生活していた)。
能登北前船主の蔵 ・・・ 荘園名主は大土地所有者で小作をかかえると同時に、交易や工業生産の担い手であった。その多角経営ぶりに注目。
横浜のおもちゃガラクタの蔵 ・・・ 現代の蔵主。収集することの狂気と稚気。


 蔵には物がしまわれる。あいにく、明治維新後のこの国の資本主義化と貨幣経済の浸透は、古いタイプの素封家を没落させた。その結果、蔵は開封されず、長い時を過ごした。それを開けた時、中に残されていたのは「宝」であった。スウェーデンのドロットニングホルム歌劇場もそうだった。この劇場は19世紀の一世紀間閉じられていたおかげで、18世紀のオペラの様子がすっかり保存されていた。
ja.wikipedia.org
worldheritagesite.xyz

 著者がいうように、1)日用品や消耗品は保存されない、そのために消費期間が終わると捨てられる。それが残されているということだけで学術的・見世物的な興味をひく、2)使用価値がある間は時間経過とともに価値を無くすが、ある一定時間以上を経過すると骨董価値が加わる。これは市場に乗りにくいし、「消費者」がいるかどうかもわからないので、見えにくい。3)個々は価値が小さくても、量があることによって俄然価値がおおきくなることがある。そのために、収集は数と量が莫大になる。あたりがこの蔵を開けるときの楽しみ。
 ただ気になるのは、この国では蔵にしまわれた使用価値はないが、骨董価値がある「もの」をどうやって評価し、保管するかの方法がまだなさそうなこと。骨董や一世紀前の日用品を今日の経済価値に置き換えるのは困難だし、そのための棚卸をするのも困難。まあ、こういう地方名家では当主がなくなったときに、蔵を開けて死蔵品の資産評価を行い、相続税を課すようなしくみはかつてはなかったとおもう。では、今後は? 横浜のおもちゃガラクタの所有者がなくなったとき、税務署はどうするのかなあ。それで収集された骨董価値のある「もの」は四散してしまわないだろうか。
www.edo-tokyo-museum.or.jp

 そういう心配をしたうえで、南方熊楠江戸川乱歩・横浜のおもちゃガラクタの蔵の当主のような収集欲の狂気じみた振る舞いに感心する。作家も本と骨董になみなみならぬ情熱をもっているので、情熱と狂気のぶつかり合いが楽しい。文章が生き生きとしているのは、ものと対面したときの感動が残っているときに書かれたからか。とはいえ、収集の情熱は人生を棒に振る覚悟、資産をなくす決意を伴いかねないので、素人にはおすすめできない。あいにく自分のうちには彼らのような修羅は住んでいない。