odd_hatchの読書ノート

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矢沢永吉「成りあがり」(角川文庫)

 1978年初出で当時のベストセラー。聞き取りと構成を糸井重里が行ったのも注目された。

 父の家族は本人を除いて広島原爆で死亡。再婚した父から永吉が生まれる(1949年)が、数年後に死去。母は別の男と失踪。永吉は祖母との二人暮らし。貧乏暮らしであったが永吉は、卑屈にはならずに、10歳ころからバイトで自活(に近い生活。高校卒業と同時に、横浜にひとりででて、住込みのバイトを始める。高校時代にロック(とくにビートルズ)に魅かれて、ボイストレーニングを自己流に開始(楽器を買う金はなかった)。横浜にでてから小金をためると、バンドを組んで、ディスコに出る。このころ一目ぼれの奥さんと結婚。人気が出るようになるが、プロ志向は彼一人のみ。解散して別のバンドを結成(それがキャロル)。ミッキー・カーチスに見つけられて、レコードデビュー。しかし、キャロルは2年で解散(解散の理由は「音楽観の不一致」であるが、実のところは上昇志向でつねに不満足の矢沢と現状に満足している他メンバーのすれちがい)。ソロ活動を開始するところまで。
 自分はキャロルの記憶をもっていなくて、ソロになったあとも興味を持たなかった(すみません)。音楽の話として面白いのは、1965-69年のグループサウンドと1972年からのフォークの間に、「ディスコ」ブームがあったこと。専属バンドがあって、たくさんのバンドがステマネに売り込み「じゃあ明日から来い」みたいな話がこの国にあったというのは新鮮な驚き。
 まあ、田舎のヤンキーが文字通り「成りあが」る物語として読んでもよい。両親不在、貧乏という負のスティグマを貼られた少年が、コンプレックスをばねに破天荒な行動を繰り返し、地元を捨てて、群衆の集まる都会に飛び込み、成功をつかむ。その間の住みこみや一人暮らし時代の貧乏、バンドに人気が出たころのグルーピーたちとの刹那、ディスコのマネージャーとの強引な駆け引き、若い時の運命的な出会いと結婚。そういう暮らしがあるのはヤンキー的と見える。
 もうひとつの読み方は、音楽業界(のなかのロック)における起業の物語とみること。すなわち作者は
・高校時代にビートルズに衝撃を受けて、自分の成功の場所を「ロック」と規定する。作曲を開始して、キャロルのデビューまでに100曲以上の曲を作る。
・高校時代にカーネギー「人を動かす」を熟読。
・上記のように楽器を買う金がないので、売りは自分の肉体のみ。そこで、ボイストレーニングの本を買ってきて自前の練習を繰り返す。記述は少ないけど、この訓練は時間と年季をかけたものではないかしら。毎日数時間×3年のトレーニングで、彼の声は人を圧倒する力をつける。
・そのうえでの成功までのプロセスをちゃんと描く。バンドを結成→小さなディスコで訓練→大きなディスコで成功→レコードデビュー。またほかのバンドとの差異化のために、革ジャン・リーゼントという不良風のコスチュームを考える。1970年代前半は七三分けかスポーツ刈りのグループサウンドか長髪のフォークばかりだったところで、この風体はとてつもなくアナクロ(1950年代のロカビリーの模倣といえる)。当時の音楽が大人かインテリ大学生のものばかりで、不良や落ちこぼれをターゲットにした音楽はメジャーにはなかった。そのような手つかずの場所をターゲットに選択。
・バンドには演奏以外のコンプライアンスも徹底。クスリの禁止、グルーピーとの接触禁止、筋を通すことのこだわりなど。それらを含め、関係者のマネージメントの徹底。必要に応じて不良取引先とは縁を切る。
・金の計算に厳しく、入出金の予定をつくる。契約内容も十分に把握。
・それでいて、ソロになるときには、借金をして数千万円の資金を作り、プロジェクトに投資。
 こういうマーケティング、商品開発、商品のブランド化、マネージメント、ファイナンスなど起業に必要なことを一人で行ったというのが驚異的なこと。それも20代の若さで。そこにはそうとうの強引さもあり、彼らの周辺にいた人を、自分のステップアップのための踏み台にするのも躊躇がない。ここらは好悪が分かれそう。
 うえにまとめたエピソードに似たものは、若い起業家に多かれ少なかれあるものだ(マイケル・デルスティーブ・ジョブスほか、この国の少壮経営者にも)。この本では、起業の苦労のうちの商品開発と競合商品との差別化が話のほとんどだが、それ以外にも注目すると、起業の参考になるところがたくさんある。少なくとも、田舎のロックオタクやアイドル志望者が運で成功をつかんだというおとぎ話ではぜんぜんない。こういう起業に自覚的なミュージシャンがこの国にいたというのが驚異的。
 昔いた会社に熱烈なファンがいたなあ。彼は会社で最も売上の多いマネージャーだった。彼のバイブルで人生の指南書だったのだろうな、この本は。