odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

大江健三郎「静かな生活」(講談社)

 1990年の連作短編集。50代の作家がカリフォルニアの大学に妻とともに長期留学することになった。家に残されたのは、障害を持つ大男の兄と、大学卒業直前の姉(セリーヌを題材に創業論文を書く予定)、東大理科2類を志望している浪人中の弟。話し手は姉で、家のさまざまな仕事(家事だけでなく、兄を作業治療所に送ることや水泳教室、作曲教室に送り迎えすることも含まれる)をしながら「静かな生活」を送る。彼女は両親のために、日々の出来事を記録していて、それを「家としての日記」と呼ぶ。

 もちろん「静かな生活」というのはアイロニーでもあり、30歳を目前にした知的障害者の兄が性的犯罪を犯しはしないかと憂いもするし(かつて20代の作者は「性的人間」で性犯罪者の思想に共感を持って書いたのだった)、自分もあやうく性犯罪に巻き込まれかける。兄も作曲した作品に「すてご」と名づけていて、その真意のわからない周辺の人はやきもきしたりもする。
 連作6作(「静かな生活」「この惑星の棄て子」「案内人(ストーカー)」「自動人形の悪夢」「小説の悲しみ」「家としての日記」)のうち、事件らしい事件の起こるのは最初と最後だけ。途中では、大叔父(のちに「治療塔」のスターシップに対抗する学者や「懐かしい年への手紙」の主人公のモデルになった人と思われる)の葬式、ポーランド文学者でイーヨーに作曲を教えている人が食道がんの大手術を終えたばかりであることを知る、セリーヌヴォネガットの小説を通じてヨーロッパの戦争におけるなんでもない人の死を考える、と思考は主に死について。単純にいってしまえば、たいていの場合、自分の死のことを特権的に考えてしまいがちだが、それは体力のある人や年の若い人たちのものではないか。ゼロになることの怖さは昔はオブセッションだった(たとえば「セブンティーン」)けど、今では鈍感になってしまった。また、なんでもない人で生きることを覚悟すると、ゼロになることの怖さはなくなって、余裕を持ってゼロに帰れるのではないか。

「死後の魂とか永遠の生命とかを考えるのは、自分について特権化した感じ方じゃないの?(138P) 」。

死の見方については自分もこんなものだったなあ、まあ同じくらいの年齢で同じように考えてきたなあという感想。通俗的といえば通俗的、いっさいの革新性のない見方なのだが、死についていまからどれくらいの革新的な思想がありえるのかしら。
 この作品あたりから、かつての読者と作者の距離が開いてきたのだろうなあ、という感想。話し手を20代前半の女性に設定することで、50代の中年男性作家(しかも家庭のトラブルから離れて、自分の魂のことにだけ気をかける)の存在を背後におく。このような面倒くさい手続きをしているところがなんとももどかしいのだよな。たぶん「私小説」のあけっぴろげさ、露悪趣味あたりが私小説の読み手の楽しみだったのだろうけど、それを省いたところで「私小説」のような小説が成り立つかみたいな実験作なのでしょう。
2009/10/24
 追記。「新しい小説のために」「核の大火と人間の声」などの文学理論を説明したエッセイ、論文などを読み直すと、この書き方は戦略的なものであるとのこと。なぜ書き手はその手記ないし小説を書くのかという理由を小説の中にいれる。それで読む側にも書き手の動機を共有させて、共感を生ませる。個人的な体験と述懐を世界的なことに押し広げたり、読者が自分の生活との類似や対比をするような仕掛けを持たせる。それがイエーツの詩の引用であったり、死に関する観念的な考察であったりする。そうやって作者の考えていることや意識を読者と共有・共感させようとする。その試みは、ことこの小説では読者である自分には響いてこなかった。どこか遠くで鳴っているけど、こちらまでは届いてこないだろうという具合。たぶん、小説の主題(障碍者、大人の階段など)が、生活の余裕のあるものの視点で書かれたからだろうな、自分よりも頭の良くて自力で解決できるような人たちの物語だからなのだろうな。
2013/1/31

    

 連作のうち「案内人(ストーカー)」は、雑誌Switchの1990年05月の大江健三郎特集に発表された。そのときの雑誌が手元にあるので紹介。